「孤独を生きる」超楽観的な「孤独」との向き合い方を読んで

とても久しぶりの齋藤孝氏の著書。Audibleで読んでみました。

「孤独を生きる」 齋藤孝 著

孤独を生きる

一時期子供がまだ小さかった頃に、子供の学習関連で著者の本を何冊か読んだ記憶があります。「勉強のチカラ!」なんかは面白かったなぁ。「なんで勉強しないといけないの?」など子供からの質問に備えていたつもりなのに、ウチの子たちはそんな哲学的な問いに至るタイプではなかったようで、結局出番はなかったのでしたが。でも大人が読んでもなかなか興味深い本が多かったように思います。

今回、久々に読んでみたのですが、少しイメージしていたのとは違ったようでした…

コロナ禍にあって益々他人とのコミュニケーションが希薄になっている現代。孤独感に苛まれる人が多い事を問題視した著者が、逆に一人の時間や行動がいかに貴重であるかを説き、そのポジティブな捉え方を提唱したのが本作です。

先人の逸話などを例に、「孤高に生きる」ことの素晴らしさを説いている著者。

しかしその一方で孤独を感じた時の対処法として、趣味やボランティアに参加する、祭りなどのイベントに参加する、サブスク三昧でエンタメに浸り切る、など、身近ではあるけれどさして目新しくもない方法が挙げられています。

これは孤独を生きる、というより孤独感や寂しさを紛らす方法なのでは、と感じざるを得ません。授業で同席した人とLINEを交換してみる、などもそもそもそういう事をやりたくてもやる勇気がない人が孤独を感じる訳で、何となくポイントがズレているような気がするのです。

その他、気晴らしに体を動かしてみるなど、体を鍛える系の提案もありましたが、既視感だけで心には刺さりませんでした、残念ながら。

冒頭あたりで最近の若者は、恋人やパートナーがいて実生活を充実させている(リア充)ような人に憧れている風潮であるというように言われていましたが、実際には「恋愛」も含めて他人との密接な関係を疎ましく思っている若者の方が増えているように感じます。そしてそれは孤独を愛し尊ぶというよりも、もっと異質で特異な傾向にあるように思われるのです。

本書は一貫して著者のポジティブ志向が土台になっているので(何せ「ミッション、パッション、ハイテンション!」の人ですから笑)、孤独?全然問題なし!みたいなトーンで溢れており、これはこれで読み物としては面白いです。読後孤独感の呪縛から解放される人がどれくらいいるのかは疑問ですが。

 

価値観の変わっていく未来に、「イイね」が持つ影響を考える

山口周氏の三冊目。今回は対談形式です。Audibleで。

「世界観をつくる 感性x知性の仕事術」 山口 周 水野 学 著

世界観をつくる 「感性×知性」の仕事術

引用:Amazon.co.jp

モノが売れないと言われている現代。しかし社会に過剰に溢れているのは「モノ」だけではなく、その「モノ」を作り出す思考の先、「便利さ」や「役立つもの」を追い求めた結果、辿り着く「正解」までがパターン化され過剰に提供されている。これからの市場におけるブランディングやプロダクトデザインを、「世界観」というの視点から語ったのが本書です。

「数値化と言語化で一様に辿り着く正解では今野差別化する事はできない」というのは、前回の山口周氏の本を読んで既に目にした彼の理論。

minonoblog.hatenablog.com

なので今回はまた更に新しい見解があるのかな、と期待したのですが、特に目新しい事はなかったという印象。

対談という形でしたが、違う意見を戦わせてそこから何かを引き出すという事もなく、どうも水野氏は山口氏の支持者のようで、終始同意しているか或いは自身の業績を述べているような感じしかなく、少し残念でした。

とは言え、繰り返しになりつつも、「これは役に立つぞ」と説得に出るモノよりも、「これには意味があるんです」と共感に訴えるモノの方がこれからは価値があるのだ、という本書の趣旨には説得力を感じます。

というのは並行してこの本を読んだから。ちょっと古い本(2011年)になりますが、Kindleで。

評価経済社会」 岡田斗司夫 著

引用:Amazon.co.jp

山口氏が「共感」に価値を見たのと同様に、岡田氏は他人からの「評価」が何よりも価値とされる社会になり、それが経済を牽引するのだという自論。社会は今まさにそのパラダイムシフトにあると著者は指摘するのです。

どちらかというと(山口氏の「世界観」より)こちらの方が興味深く読めました。本書から約10年。答え合わせのように見ていくのも面白いかな、と思います。

YouTubeでの発言もあるので、一度聞いた話も出てくるので重複する内容も。しかし先の見通しが難しい今、不安要素はいろいろありますが、考え方のヒントとして参考になるのでは。

「共感」や「高評価」だけが価値の主軸になるとはちょっと納得しづらい部分もありますが、価値観が変わっていく事を考えると、大きく影響する観点であることは確かなようですね。

 

「第三夫人と髪飾り」美しい映像のベトナム映画に悲しい夫人たちの運命を観る

昨日寝る前に軽い気持ちで観た映画。とっても深いお話でした。アマプラで。

「第三夫人と髪飾り」(2019年)

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引用:映画.com

19世紀の北ベトナム。富豪である大地主のもとに第三夫人として嫁いできた14歳のメイ。一族には、唯一の男子を産んだ第一夫人、女子ばかり3人産んでいる第二夫人が共に暮らしている。まだあどけないメイも、代継となる男子を産まねば「夫人」として認めてもらえない、厳しい現実を知るようになり、やがて彼女自身も妊娠する。

綺麗な映像です。深い山々の緑と川の蒼さが水彩画のように映し出されます。PRにもあるようにまさに桃源郷です。自然の美しさを背景に静かな日々が流れていくのですが、それとは対照的に嫁いできた女たちの運命は過酷。

後継となる男の子を産まないと「夫人」と呼んでもらえない彼女達。娘しかいない第二夫人は一目置かれることもなく発言力もない。息子のいる第一夫人とて一人しか男の子がいない為盤石とは言い難い存在。一夫多妻の家庭の中で妻としての地位を確立させる事が全てであり、それで運命が決まってしまいます。

まだ14歳のメイは、第二夫人の娘達と歳が近く気楽に暮らしていましたが、妊娠する事で自分も何とかして男子を産まねばと願い、早くも自分の運命を受け入れるのです。

豊かな自然と同じように非常に穏やかな毎日で、3人の妻達もあからさまに妬んだり罵ったりする事なく、互いに助け合いながら生きているのは、不自由な生き方を甘んじて受け入れざるを得ない互いの立場を理解しているからでしょう。いわば運命共同体のようです。

第一夫人の息子と密かに逢瀬を重ねる第二夫人。別れ話の際のやりとりから、どうも3人目の娘は彼の子供と示唆されます。男子を得る為第一夫人の息子を利用したのではないでしょうか。

そして(感のいい)第一夫人はそれを薄々察していながら、(運命を共にする人間として)見て見ぬ振りをしていたのでは、と思われます。

第二夫人を諦めきれない彼は、親の決めた望まない相手との見合い結婚後も、新婦をどうしても受け入れられず、拒絶された新婦(まだ幼女のようです)は離縁もしてもらえないまま行き場を失い結局自ら命を絶ってしまいます。

どこまでも「子孫繁栄」の為の手段としてしか「価値」も存在さえも認めてもらえない彼女達。

翻弄される運命の中で、太々しいほどに強くしたたかに生きざるを得ない彼女達をラストに観たような気がします。

 

 

 

映画「TITANE チタン」で説明できない狂気を観る

3連休でしたね。毎日が日曜日の私にとっては長い週末のようでしたが。でも家族全員出かけてくれたお陰で映画二本も(ポイント諸々で¥1、000で!)観られたというとても有意義な連休でした。

ついでにネトフリでも観たので何だか気が付けばシアワセな週末だったのですが、どの映画も私にとっては「濃すぎて」どれから話そうかと。

とりあえず訳の分からなかったところからいきましょう。

「TITANE チタン」

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引用:映画.com

2021年カンヌでパルムドール。いや、実はそこではなくて期間限定につき料金¥1、000に食指が動きました。感想?ん〜難しいなぁ。

幼少時父親の運転する車で事故に合いチタンプレートを頭蓋骨に埋め込まれた主人公アレクシア。成人後あるきっかけで連続殺人を犯してしまい、その後これも衝動的に倉庫に眠る車と交わり妊娠(ありえないんですけど)。連続殺人の指名手配から逃げきる為に、行方不明少年捜索の広告に目をつけ、(女である事を隠しつつ)自分がその少年であるとでっち上げ警察に名乗り出るのだったが…

最初から最後まで突拍子もない設定と、これだけ裸体が出ているにも関わらずエロというより「グロい」映像の為結構な時間目を瞑っていた気がします。折角映画館に行ってるのに何と勿体無い事…

直視できない映像の多くは、アレクシアの起こす殺人シーン。自身の持つかんざしのような物で相手を突き刺し(椅子の足を使うなどもあるのですが何れにしても突起物)、不快感はこの上ないです。

気持ち悪かったね、で終わっても良かったのですが、折角の連休での鑑賞だったので少し付け足しておきたいと思います。

この主人公アレクシア、モーターショーのダンサー。お父様は医者でそこそこ裕福なお家の様子。いかがわしいダンスなどする必要もないのだけど、さしてそれを止める様子もない両親。ここから子供に全く関心のない親の状況がみてとられ、更に視線や様子から父親との性的な関係が伺えます(これは幼少の時から継続していたのか大人になってからなのかわかりません)が、結局両親も殺してしまいます。

一方、行方不明の息子が帰ってきた、と喜ぶ男。彼の行動も奇妙。消防団のリーダーである彼は衰える肉体を維持する為ステロイド注射に依存。再会した息子(本当は女だけど)に異常な執着を見せるのですが…

実は息子はとっくに死んでいて(子供の遺体がフラッシュバックで出てくる)「行方不明」は彼の妄想のよう。

連続殺人の女も消防団リーダーの初老の男もいわば狂人で、その二人が僅かの間だけ親子を演じ心を通わせる場面もありますが、常軌を逸した様子は加速されていくのです。

そもそも車と行為に及んで妊娠するという事自体おかしな話で、結局この妊娠自体妄想だったのか、それとも実父との間の子供だったのか。出産を経て女は死んでしまうけど、この出産も妄想だったのか…

観客を不快と混乱に落とし込むような映画でした。狂気とグロさに浸りたい方はどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

「アンオーソドックス 」で女性の自立を観る

最近サブスクの見直しをしていてその中にネトフリも入っています。いろいろ込み込みスマホパッケージみたいですがそろそろ一旦解約してもいいよね、という話に。そもそも何でネトフリに入りたかったか、という事を考えると、そうだった、このドラマが観たかったからなんだ、と言う事を思い出したので。

「アンオーソドックス 」2020年

アンオーソドックス | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト

引用:Netflix

NY市ウィリアムズバーグ地区にある戒律の非常に厳しい超正統派(ウルトラオーソドックス)ユダヤ教ハシド派コミュニティー。そこで暮らす一人の女性が結婚を経て厳格な暮らしに耐えられなくなりコミュニティーを脱出、ドイツベルリンに逃亡しそこで音楽大学に通いながら新しい文化・生活に出会い成長していく様を描いたのが本作です。

4つのパートから成るリミテッドシリーズ。実話を元にしたストーリーで、フィクションの部分が大半とはいえ、NYのコミュニティー場面はイディッシュ語で進行し、登場人物も全てユダヤ人俳優によって演じられており、とてもセンシティブな内部をドキュメンタリーと思わせるくらいリアルに表していると言えるでしょう。

家ではインターネットを繋いではいけない、女性は人前で歌ってはいけない、結婚すると女性は髪を剃られ外出時はカツラをつける、男性は黒い衣装に顎髭や長い揉み上げをたくわえた伝統的なスタイル…

日々の厳しい戒律を守り、すでに学問上でしか使われないイディッシュ語を話す閉ざされた世界から逃げ出す主人公。

「女性の自立」やフェミニズムが本作の大きなテーマである事は間違いないのですが、そう言うストーリーの際往々にして逃げ出したコミュニティーを「悪」と描きがちですが、本作では決してそういう一辺倒な描き方をしていません。

コミュニティーの日々の暮らしや、特に結婚式のシーンなどかなりの時間をかけてじっくり描写しており、ホロコーストの苦い歴史を今だに背負って生きる彼らの生き方が丁寧に映し出され、彼らが頑なに守る儀式や言語に対するリスペクトを感じます。

だからこそ、民族としての苦悩と個人としての自由の狭間で揺れながら一歩ずつ確実に強くなっていく主人公の生き方に共感できる気がします。

ラスト近く、大学の奨学金のかかった大事なオーディション。そこで主人公は「Mi Bon Siach」というヘブライ語の歌を熱唱します。拳を固めて響かせる彼女の歌声に、新しい世界へ踏み出しつつも祖国への誇りやアイデンティティーを失わない彼女の強さを感じて自然と涙がでるとても良いシーンでした。何度も繰り返し聞きたくなる。音楽の深さにも触れることのできた作品です。

 

 

スマホを駆使した発信力と行動力をホリエモンの本で学んでみる

ホリエモンによるスマホを駆使した生き方の本。予想通りに最初から最後まで「ホリエモン節」でした。Audibleで。

スマホ人生戦略 お金・教養・フォロワー 35の行動スキル」 堀江貴文 著

スマホ人生戦略 お金・教養・フォロワー35の行動スキル

彼自身冒頭で言っている通り、スマホの使い方やオススメのアプリの紹介などではありません。スマホというハイスペックな道具をいかに使いこなし、いかに自由に果敢に人生を送るかという、著者独自の考え方が提示されている本です。

Youtubeなどで常々電話もPCも要らない、スマホ一台あれば事足りると主張している著者。殆どの要件はLINEで十分。長ったらしいメールや電話など以ての外、ましてや「大事な件なので是非とも会ってお話を」などと言う輩は、著者にとっては悪しき慣習に囚われている、よほど時間を持て余しているか要領が悪い人間ということになるのでしょう。

朝起きてから寝るまでスマホを手放さないと言う堀江氏。寝る間も惜しいくらいに駆使しています。こう書くとまるで「スマホ依存症」のようですが(まぁ利用時間で見ればそうですが)、彼の場合ネットサーフィンやSNSなどスマホからの情報を受け身で入手している依存型ではなく、スマホからの情報を元にアイデアを膨らませ、更に価値のあるものを見つけにいく、「掛け合わせ」の発想を提唱しているのです。

実際、ライブドア時代にテレビ局の買収を仕掛けた時も世間を驚かせたし、逮捕・出所後はメルマガ、オンラインサロン、ロケット開発、パンや和牛などの飲食店経営、などなど、好奇心の赴くままにビジネスを展開しています。

別の本でも(多分YouTubeでも)言っていますが、稼いだお金は貯金に回さず次のビジネスなどへの投資に回しているそう。

スマホからの情報を精査しそこから自分だけの価値を作り出す事、そして実際に行動に移すことの重要さを本書で力説し、その通りに彼自身体現していると言えるでしょう。

スマホ一台あれば」とか「実際に顔を合わす必要なんかない」とか言うところだけ見ると随分とドライなスタイルのような印象ですが、あれだけ次から次へと事業を展開させ様々な形で成功させているのを見ると、綿密なコミュニケーションとフットワークで独自のネットワークを作っていることが伺えます。

そのビジネススキルや行動力も一般の人が持っているのと同じスマホを元にしているんだから、やる気さえあれば誰だって何だってできる。言い訳するなって事ですかね。

昔、彼が逮捕された際大前研一氏が、ホリエモンは(才能があるから)出所後きっと復活できるって言ってたのを思い出しました。そう言えばこの二人何となく似てるなぁ。「オレみたいに生きてみろ!」みたいなところが。

 

今週のお題で。朝のジョギングの話など

今日は「今週のお題」。初めて参加します。

30年以上の会社勤めがなくなってどっぷり家で主婦している今、「ルーティンは?」と聞かれて「家事全般です」と答えてしまいそうになる毎日なんですけど(家に一日中いて、やる事が何で次から次へと出てくるのかナゾ。いや、ただ私の処理能力が低いだけなのか…)それではあまりに身も蓋もないので…

豪雨や強風を除くとほぼ毎日のジョギングが朝のルーティンと言えるでしょうか。最初はウォーキングだったのですが、そのうち朝の貴重な時間を少しでも短縮したくてトロトロ小走りに変えて今に至っています。既に言ったかもですがスズメがノロノロ歩いて避けるくらいのスピード(笑)。

先日Kindleで読んだ長尾和宏先生の本では、必要以上に心拍数を上げる「ラン」よりも「ウォーキング」を勧められていました。でも中高年もある程度心拍数を上げるのは必要という事で軽いジョギングを勧める意見もあり、こういう健康問題をめぐるガイドは様々な意見が目に入ってくるので悩むところ。結局全く無理のないペースでのろのろ走ることにしています。

朝ほとんど一定の時間に起きて同じ道を走っていると、陽の傾きや暖かさ、空気の乾き具合などで季節の変化を感じられるのも良いところ。特にお天気だと海の色も真っ青で凄く気持ちがいいんです。海の近くに住んでいて良かったなと思う瞬間ですね。

ジョギングのお陰なのかもしくはコロナ禍のマスクや手洗い・うがいが完璧なせいなのか、ここ2、3年風邪もひいていないのも有難いところ。

ただ、最初は体重も減ってダイエット効果!と結構嬉しかったのですが、この年齢になると減量はむしろダメージになることも。体重はそんなに変わらなくても何と無く疲れやすくなったり何と言っても見た目が貧相になる悲しさ(あぁ我ながら年寄り臭い…)。なので逆に減りすぎないように心がけてもいます。

この「貧相」になる事を回避すべく(つまりあまりババくさくならないようにする為に)筋力をつける必要があるのでは、という事で部屋の隅から引っ張り出したのがケトルベル。

実はこれ随分前に購入したもので、小ぶりですが8kgもあるので扱いが一苦労。片手でひょい、とはいかないし、一度腰を痛めかけたことがあったので、しまいこんでいた説明書をチラ見しつつほどほどのペースで使い始めていますが…こちらはルーティンにはならないような気がするなぁ、残念ながら。

↑形は可愛いんですけどね。重さが可愛くない。

もう10年以上の付き合い。底なんかめくれちゃってるけど、もうちょっと一緒に頑張ろうね。