相手の心を開くことは難しいけれど、人の話を聞いてみたくなる本でした

TVや雑誌でお馴染みのアガワさん。少し前の本をAudibleで。

「聞く力」 阿川佐和子 著

阿川さんと言えば、雑誌やTVで対談やインタビューをなさっている方のイメージ。「オハナシする」のに慣れた印象ですが、本書ではこれまでのあれこれ失敗談や苦労話を交えながら、トークの際の「聞き手」としてのヒントを披露されています。

それは「話を促す相槌の打ち方」や「相手と目線を合わせる」などちょっとしたコツもありますが、そもそも事前に「あまりにも完全に段取りを決めない」など、相手のリアルな反応や会話を引き出すべく、「ゆとり」を持って相手と対峙する大事さが書かれており、この点が著者の対談のうまさなのでは、と思われます。

TVで見る著者のインタビューなど、おしゃべりが上手というより、ごく自然体で相手と接している様子が伺え、そこから話の流れもうまく運ばれていくのでしょう。

本書でも対談相手(鶴瓶師匠です)の「会話はナマモノ」という一言を引用されています。実際に決まりきった質問を用意し、型通りの返答をもらうだけでは臨場感のある対談にはならないでしょうね。

対談に臨む際に、準備はしても「知ったかぶりをしない」という著者。でもデーモン小暮に面と向かって「ヘビメタってなんですか?」と聞けるのはアガワさんだけのような…

要するに彼女の性格の良さというか育ちの良さみたいなものが滲み出ていて、それが助けになっているのではと感じるのです。

だから、という訳ではないけれど本書を読んでいても、あーこれはタメになるな、使ってみようかな、というヒントを得たと言うより、著者のフワフワした雰囲気が連想されて、楽しいエッセイを読ませてもらった、という感じ。

とは言っても全く役に立たないと思った訳ではありません。あれこれ提示されたヒントを実践するかどうかは別として、何となく人と会って話を聞いてみたくなるからです。

人ってそもそも誰でも多かれ少なかれ「話を聞いてほしい」存在。本書ではないのですが、確か以前著者がどこかの雑誌のエッセイで、長年無口だと思っていた弟が学校でうるさいほどのおしゃべりだと聞き、どうも家族全員がおしゃべりな為十分話す事ができない分外で弟は話をしているらしい、と気付くくだりがありました。

そう言えば以前ヨガの座学で順番に自己紹介をする際、(大抵ヨガをやっている人って大人しめの人が多いのですが)皆さん滔々と話し出したりするのをよく見たりします。機会さえあればみんな自分語りがしたいのだな、とその時も思ったものです。

でもその「話したい」という気持ちを引き出すのがポイント。やっぱりそこは著者の天分(天然ではありません)なのでは。

 

伝説スタイリストの映画に80年代ゲイカルチャーを見る

予告編を見た時にはもっとコミカルなイメージ。予想とちょっと違っていたんですが、それでも見応えある映画でした。実在の人物をベースにした作品。シネスイッチ銀座にて。

スワンソング

引用:映画.com

昔、ヘアメイクドレッサーとして活躍していた「ミスター・パット」。ゲイである彼はパートナーを亡くし、主だった重要顧客はかつての弟子に取られ、今では老人ホームで一人侘しく暮らす日々。そんな彼に元顧客で親友であったリタの訃報と彼女の死化粧を施して欲しいとの彼女自身の遺言が届く。長年の不仲からわだかまりを持ちつつも遺言を果たすべくホームを抜け出し、リタの葬儀へと向かうパット。

ロードムービーとあったのですが長旅ではありません。オハイオ州の小さな町サンダスキーの中で繰り広げられる物語。でも外界から長らく閉ざされたホームから町の中心部への移動は、彼にとって誰よりも長い道のり。

パートナーと暮らしていた家は取り壊され更地、自分のサロンは跡形もない。華やかだった彼の姿を覚えているのは僅かな人々だけ。キャリアだけでなく「ゲイ」の在り方も時間の流れを感じさせます。

彼が活躍していたのは70−80年代。ゲイのコミュニティーも独特の世界だったのでしょう。自分のスタイルを貫き通すには相当の覚悟と勇気が必要だったはず。

一方、現代ではQueerクィア)であることが受け入れられている代わりに、サンダスキーのような小さな町のゲイコミュニティーは次第に溶け込んで無くなっていくように見える皮肉。時代の移り変わりでゲイカルチャーも変遷し、自分をどう表現していいのかわからなくなるのですね。

一旦は自分を見失いそうになりますが、昔ドラァグクイーンとしてステージに立ったゲイバーで、再びゲイの人々に囲まれ踊る中、次第に自分を取り戻していくパット。

本作は、監督自身の故郷であるサンダスキー、そしてそこでかつて出会った伝説の「ミスター・パット」とそのコミュニティーに捧げた映画と言えるでしょう。登場する町の住人の誰もが暖かい。でもパットのパートナーがAIDSで死に、リタがそれに動揺した事が疎遠となる原因である事を考えると、90年代AIDSが蔓延していた頃は相当な偏見がこの町にもあったのであろうと想像できます。

主人公を演じたウド・キアー。仕草、動き、身のこなし、話し方、全てで「年老いているけれどプライドが高く我儘だけど憎めない伝説のスタイリスト」を体現していました。

 

 

 

 

 

筋トレが全てを解決するのか?筋肉が人生を変えるというシンプルで最強の本を読んで見た

しんみりした気分だったのでサクッと読める本を、と思って選んだらバカバカしいと思いつつ笑ってしまいました。一貫して「筋肉哲学」が謳われた一冊。Audibleで。

「超筋トレが最強のソリューションである 筋肉が人生を変える超科学的な理由」

出典:Amazon.co.jp

タイトルと表紙からして、眉唾っぽいんだけど…。Audibleがなかったらきっと手を出さなかったような気がします。

著者Teststeron氏は、学生時代100kg以上あった体重を米国留学中に出会った筋トレによって40kg近く減らし、その後トレーニング理論とスポーツ栄養学をもって筋トレ普及に尽力されている方。その名と同じくらい本著の切り口はユニークですが、内容は意外とオーソドックス。

とにかく何でも「筋トレ」が解決してくれる、というのが基本のメッセージ。これ以外ありません。とことん体を鍛える事で精神力も養われるというヤツですね。古くからある「健全な肉体に健全な精神が宿る」という言い習わしに沿った考え方で特に否定するまでもないでしょう。

「自信がないなら筋トレをすべし」カラダがカッコ良くなったり異性にモテたりする事で自信がつく、というのはわかりますが、「(嫌な)上司も取引先もいざとなったら力ずくで葬れる」というのは流石にいくら何でも(笑)。しかし頭でそう考えるだけで精神的に優位に立てるかも…

筋トレは、やればやるだけ目に見えて成果がついてくるもの(らしい)。努力が結果に結びつきやすい事を考えれば、自信につながるのも難しくはないはず。

シンプルに体が変わる事で、「人は変われるんだ」と再認識させてくれるおかげで、自ずと内面的な変化に発展するという原理のようです。

継続的に筋トレをすると、数ヶ月前と比較し自分の変化を実感・評価する事になる。この自己評価が続いていくと、自己肯定感のアップに繋がる、と著者は主張しています。

なかなか上げられない自己肯定感。日々の生活に筋トレを盛り込む事が一助となるなら、やってみる価値あるんじゃないでしょうか。

今回残念だったのはAudibleであるが故に「実録漫画」なるものが読めなかった事。まぁこちらも臨場感あふれるナレーションのおかげで楽しめましたけども。

もう一つ、筋トレのメリットは力説されていましたが、具体的な方法は載っていません。要するに本作は読後の「筋トレやる気」を引き出すのが趣旨なので。やる気に火がつかなかった人には表紙に書いてある事以上の意味は無いのかも。

個人的にはシンプルにカラダから変えていこうという考えには同意。折角のやる気が引っ込まないうちに、手近なやり方で始めてみるのが良さそうですね。早速腹筋あたりから鍛えてみようかな。

長い長い人の列を見て思うこと

賛否両論あった国葬儀。大きなトラブルもなく無事に終わったようで何よりでした。長い長い列ができた献花台。なかなか途絶える事のない人を見ていると、国民の大半が反対しているとか言うのは何だったんだろうと思いますね。

それでも当日まで会場付近でデモがあったり、SNSでは「黙祷の時間に合わせて騒音を立てて抗議しよう」みたいなツイが流れてきたりするのを見ると、はぁ…脱力するくらい情けなくなります。

何事も反対するのは自由だけど、故人を偲んで送り出す儀式くらい粛々と行うのは当たり前だと思うけど。

何だかなぁ…と思っていたら先日こんな記事が目にとまり。

dot.asahi.com

出典:AERA.dot

もうこの国には誰かの国葬をする力も器もないのかも…とさえ思えてくる。

結局危惧したような事は何も起こらずTVを見る限りしめやかに行われた儀式。心のこもったガースーの弔辞も聞けたし、やっぱりやって良かったんじゃないでしょうか。

今日は武道館へ行くのは遠慮しライブ中継でお別れさせていただきました。最後だから行っておきたい気持ちも正直あったのですが、諸処の事情で断念。でも初七日に奈良まで行って献花させてたいただいたので、自分としてはこれで良しと思う事に…

西大寺の現場については既に触れていますが、本当に普通の駅前ロータリー。デパートもすぐ前にあるような「道ばた」なんです。それを思うと悔しいとか忍びないとか、胸が塞がれるような気持ちです。

一般の買い物客やバスの乗客もたくさんいただろうに、一般市民に被害がなかったのは奇跡に近いでしょう。それを考えると、身をもって国民を守って逝かれたのかな、とも思えて来ます。

今日の何時間も静かに進む献花の列をあらためて見ると、いや日本はまだまだ大丈夫と思っていいのでは、という気にさせてくれました。

いろいろあって家の中ではこんな話はできなかったけれど、きっと同じように思っている人が今日はたくさんいるんだろうな、と考えることで少し救われる気持ちになるのでした。

一方ネット上では「デジタル献花プロジェクト」が、若いベンチャー企業経営者たちで作られた実行委員会により立ち上げられ、デジタルでの献花とメッセージが送れるようになっています。既に献花は40万人を突破し受付は9月30日まで延期されたそうです。デジタル寄せ書きのようなもので、他の方のメッセージも読むことができます。

プロジェクトを立ち上げたのは、20代、30代の若い世代。ここでも多くの人の気持ちが繋がっていく未来に希望が持てる気がします。

 

 

 

「プアン 友だちと呼ばせて」 洒落た映像と音楽でノスタルジーに浸る

先週は名画座やサービスデーを使って、贅沢にも4本も観てしまったシアワセな週でした。こちらはサービスデー(レディースデーという名でしたが男性もいらしてました)を利用して。

「プアン 友だちと呼ばせて」

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引用:映画.com

NYでバーを経営するタイ人のボス。タイに住む古い友人ウードからある日電話を受け白血病で余命短い事を告げられる。人生最後の頼みとしてウードはボスに、元カノを訪ねる旅の運転を依頼する。タイの各地をウードの元カノを順番に訪ねる二人。そして最後にウードはボスに今まで伝えていなかった話をする。

バーの経営と言いつつ女性客を相手に遊んでいそうないかにもプレイボーイ風なボス。チャラチャラした外見と行動が鼻につきそうなイメージですが、彼が何故こんな風になったのか。何故ウードが何人も元カノがいて長続きせず少なからず彼女らを傷つけてきたのか。それが一人の女性の存在であった事に繋がっていきます。

男二人のロードムービー。映像も音楽もオシャレ。タイはバンコクしか行った事無く、しかもあまりいい印象がなかったのに、単純にも何だか又行ってみたくなるくらいスタイリッシュに仕上がっています。

回想シーンに出てくるNYのバー、タイの豪華ホテルやビーチなどどれも素敵で(多分パタヤとか実際以上に綺麗に写っていそうな)そこに昔の彼女を訪ねて回るという旅。とは言っても訪ねてこられる彼女達にとっては迷惑な話。実際ビンタする人もいれば頑として会わない人も。

それぞれがウードに対して決していい思い出ばかりじゃ無い事もきっちり描いている点はとても好感が持てました。

ストーリーはこの「元カノ巡礼」と「一人の女性をめぐる話」でトーンが変わってきて、そこも面白いところ。

余命宣告を受けた人が登場しているわりに悲壮感があまり無いのは、やはり映像の綺麗さと音楽の良さもあると思います。DJ、ラジオ、カセットテープ…時代を感じさせてそれだけでノスタルジックな気分になります。

「青春ロードムービー」っぽい予告編だったので、もう少しさらっと乾いたイメージを想像していたけれど、思っていたよりもメロドラマでした。タイは湿度が高いからなぁ(違)。

でも何だかんだで最後まで好印象です。ラストもいろんな解釈が出てくるかもしれませんが、やはり「スタイリッシュ」と言う言葉に尽きるかな。プロデュースをしているウォン・カーウァイのテイストも加味されているのでしょうか。改めて彼の作品観て観たくなります。

タイ映画は(多分)初めてだったのですが本監督のバズ・プーンピリヤの「バッド・ジーニアス」はネトフリで観られるようなのでこれも楽しみ。

 

高齢女性二人の恋愛映画を観てきました

名画座二本立てのうちの一本。フランス語っていいなぁ。意味わからなくても響きだけで恋愛映画って感じしませんか?でも本作は残念ながらセリフ少なめ。代わりに表情とか視線とか…「大人な」恋愛映画です。

「ふたつの部屋、ふたりの暮らし」

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引用:映画.com

フランス、アパルトマンの最上階。向かい合う部屋にそれぞれ一人暮らしをする女性二人。仲良しの隣人を装うが実は愛し合う恋人同士。ニナは独身。マドレーヌは夫を亡くし子供二人は既に独立。部屋を引き払い外国で一緒に暮らす計画を立てるものの、マドレーヌは子供達に自分達の事を打ち明けられずにいる。そんな中マドレーヌは急な病に倒れ会話もできない要介護の状態に。心配するあまり行動がエスカレートしていくニナ。

高齢者のレズビアンカップルのお話です。日本よりも一般的には受け入れられてそうなイメージですが、それでもシニア世代にとってはなかなかオープンにはできず、まして自分の子供に対してカミングアウトするのは更に勇気が要るでしょう。

二人で暮らす事を念頭にいつでも出ていけるようにスッキリ片付いたニナの部屋とは対照的に、いつまでも踏ん切りの付かないマドレーヌの心情を表すように彼女の部屋はいつまでも生活の匂いが感じられます。

二人の気持ちのすれ違いが見られた矢先に、脳卒中で不自由な体になるマドレーヌ。ここらあたりからニナのエキセントリックとも言える行動が始まります。合鍵でマドレーヌの部屋に(介護人がいるにも関わらず)夜中に忍び込む、「親切な隣人」を装い何とか身の回りの世話をしようとする、濡れ衣を着せて介護人を追い出す…

二人の仲を怪しんだマドレーヌの家族が二人を遠ざけようと密かにマドレーヌをホームに入れた際には、気も狂わんばかりに探し回るニナ。マドレーヌの娘たちの家まで押しかけ勢い余って窓ガラスを割るなどしてしまいます。

狂気をはらんでいくニナの様子をじっとりと追うカメラと重々しい音楽がサスペンスそのもので終始ハラハラさせるんです。

誰かが襲われるでも殺される訳でもないのに、最後まで「何だか怖い」気にさせるのはやはりこのニナの狂気を帯びた行動にあるのですが、それを静かに視線だけで受け止めるマドレーヌの表情にも狂気が見える事も大きいように思います。

恐ろしいくらいに暴走する恋人を、喜びと共に受け入れてむしろ求めている様子。愛情と狂気が一つになってより強く結び付いていく二人。静と動で正反対のように見えた二人だけれど、結局狂わんばかりに相手を求めているところはお互い同じという事でした。障壁があるほどに燃え上がるのは老いらくの恋も同じなのですね。

 

 

 

 

ドキュメンタリーの要素を施した映画にリアルな子供の声は反映されているか?

モノクロ画面のノスタルジックさとホアキン・フェニックスの珍しく「いい人」感漂う予告編に惹かれて。平日の名画座で。

「カモンカモン」

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引用:映画.com

主人公(ホアキン)はNYに住む独身のラジオジャーナリスト。各地の子供(ティーンエイジャー)を相手にインタビューしその内容を編集して番組を構成している。その彼が長らく疎遠にしている妹から甥っこを預かる事になる。ほんの数日の予定が諸事情が重なり何日も共に生活していくうちに、口論やすれ違いも交えつつ交流を深めていく、というヒューマンドラマ。

こう書くと、子供に振り回される独身男の定番ドタバタコメディーが予想されますが、本作では(迷子になりかけるというハプニングは多少あるものの)主人公と子供、そして妹(子供の母親)との会話でほぼ進められて、目立ったアクシデントもありません。

もう一つ映画の骨子になっているのは、米国各地に出向き現地の子供達を訪ねるインタビューの様子。これはホアキンが台本なしに子供達を取材したドキュメンタリーだそう。

偉そうに言ってくる大人たちに不満をいう普通の女子もいれば、お父さんが刑務所に入ってどうしようもない生活を送っている少年もいる。

実際の子供達の声を拾いつつストーリーを膨らませる。これは感動するパターンかなと思いながら何と寝てしまいました、不覚にも…

それも一度とならず二度までも。何故だ!ホアキンなのに。子役の演技も完璧なのに…

本作、終始モノクロでまるでドキュメンンタリー調の画像(インタビューはドキュメンタリーですが)。絵面は美しいのですが何でモノクロなんだろう、と。

主人公(結婚せず家族を作らない独り身の男性)の「都会で仕事に終われる人間としての』陰鬱とした心情を描くならモノクロですね。でも対する甥っ子は好奇心いっぱいの(多少多動症的なところがあるものの)純真な少年で、初めて訪れるNYなどきっとカラフルかもしくはえげつない色彩のイメージだったのでは?そんな事を考えているともっともっとメリハリがあってもいいストーリーだったのでは、と思われます。

コンビニでわざと隠れておじさん(主人公)を驚かそうとする少年。セキュリティーの観点から必死に探し甥のいたずらとわかった時点で厳しく叱る主人公。これに対しても冷静であるべきという妹のアドバイスがあるんですね。そして結局甥っこに謝ってお互い仲直りするという…

どうなんだろう…一通り子育てを経験した身にしてみれば、ふざけ過ぎて度を越した子供に対しては厳しく諭して良いのでは、と思われますが。

いや、何だろう、この「お仕着せ」の感じがするのは?子供って大人をこんな風に見てるでしょ?きっとこんな風にして欲しいんだろうな?というのがあちらこちらから漂ってくるような気がしてくるのです。

そう思うとドキュメンタリーであった筈のインタビューでさえ、「ひょっとしたらこの子らもこういう風に答えるほうが大人は喜ぶよね」と思いながら言っているかのように思えてくる…

そんな訳で感動の一作にはならなかったのですが、高レビューの人も多そうなので一見の価値はあるか、と。そうそう、画角や音楽はセンスの良さが感じられました。