「無限大ガール」まるで漫画なスーパー高校生の活躍がひたすら楽しい

カバーのイラストに惹かれて。内容も同じくらいに可愛らしさ満載でした。Audibleで。

「無限大ガール」 森 絵都 著

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高校二年生の相川早奈は、両親から「長身」と「器用さ」を受け継ぎながらどこの部活にも所属していないものの、頼まれれば今日はテニス部、明日は水泳部、園芸部に写真部と、臨時の助っ人として参加し、「日替わりハケン部員」として引っ張りだこで活躍する毎日。そんな早奈に今度は演劇部から、秋の文化祭でのミュージカルで主演予定の女子が演出家ともめて急遽降板した為、その代役を務めてほしいとの依頼が。しかしその演出家は昨年早奈をフッた元カレ。依頼を受けるか悩む早奈だが…

昔、「ハケンの品格」という、何でも器用にこなすプロフェッショナルな派遣社員が主人公のドラマがありましたっけ。本作を読んでいると、OLと高校生で設定に差はあれど、「頼まれた仕事は引き受け完遂する」という点で見事に一致するカッコ良さ。

あまりに何でもできるスーパー高校生ぶりに、出だしから漫画を読んでいるような軽快さです。

快調な滑り出しから恋のお悩みも混ぜつつ、でもやはりスーパーガールぶりは健在。

あまりの都合良さにツッコミたくなる事もしばしばあり、幾ら何でも「全部夢でした」で終わるのかな、と思いきや最後まで「都合良く」走りきった高二女子。まさに無限大の可能性を秘めた主人公なのです。

自己否定やら内面との葛藤やら、難しい本や映画に触れた後にこういうのを読むと何だか妙に救われたような気がするもの。たまには頭も心もカラッとさせてくれる作品に会って、元気を貰うのも良いなと感じました。現実はこんなにハッピー&ポジティブとはいきませんもの…などと言ったらこの無限大ガールに叱られそうですが。

「プラナリア」様々な無職の人たちが登場する短編集

以前Audibleで聞いた「百年の子」を朗読された石田ひかりさんがファンと言うのを聞いて読んでみたくなった作家。直木賞受賞作を文庫本で。

プラナリア」 山本文緒 著

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乳がんの手術以来、体調不良のせいもあって何事にも前向きに取り組めない25歳の春香。何もかも面倒に感じ社会復帰もままならない。何かにつけて「私、乳がんだから」と開き直った態度をとる彼女に対し、普段は優しい大学生の彼氏豹介は呆れつつも関係は続いている。豹介とぶらぶら遊び歩く日々を過ごす春香だが、病院で偶然出会った永瀬という女性が店長を務める和菓子屋でアルバイトを始めることになる。

表題作を含める5作をおさめた短編集。いずれも何らかの理由で無職である人たちが描かれています(一編を除き女性が主人公)。

いずれも人間の奥底にある暗部が滲み出ている小説。悪意というのではなく、外へ向けられているというよりもむしろ自身に対して向けられている嫌悪、そしてそこから目を背けて生きていこうとするもいつの間にかそこに戻ってきてしまうジレンマ。

表題作「プラナリア」は、乳がんの為片側の乳房を除去した女性のそんな内面にスポットが当てられたお話。

右胸が無いことや乳がんである事は自分のアイデンティティーだと永瀬に話す春香。しかしその言葉通りに受けて乳がんに関する資料をダンボールで送りつける永瀬に対し怒りを募らせ遂にアルバイトを無断欠勤します。

アイデンティティー」と言いながら、実は現実を直視することを避けている春香。だから良かれと思っての永瀬の行為も鼻に付くのです。

が、この永瀬も本当に春香を思っての事なのか。「春香を気遣っている店長としての自分の行動」を自身の容姿と同様に美しいと感じての「自意識の高さからくる行為」ともとれます。何れにしてもこれが引き金となって、また社会復帰から遠のいてしまう春香は自暴自棄な生活に逆戻りします。

周囲の対応は悪意のあるものばかりでは無いのはわかりつつ、同情や憐憫で神経を逆なでされ益々やさぐれていくさまは、がん患者というセンシティブな設定で描きながら、実際は疾患の重篤さに限らず、人の普遍的なものなのかもしれません。

表題作だけでなく他編もインパクトがあったので、本作者の他の作品も続けざまに読みました。実はこれを書いている直前にも読み終えたばかり。もう新刊が望めないのが本当に残念な作家。一つずつ丁寧に読んでいき感想を書いていきたいなと思います。

「月の満ち欠け」生まれ変わりを繰り返す女性とそこに関わる男たち

映画化もされた作品。Audibleで。

「月の満ち欠け」 佐藤正午 著

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山内賢は妻の梢と娘の瑠璃を突然事故で亡くしてしまう。失意の小山内の前に三角という男が現れ、実は瑠璃は三角に会いに行く途中に事故にあったのだと語る。何の面識も無い男の言葉を訝る小山内に、三角は自分がかつて愛した女性の事を語り始める。それは死んだ娘瑠璃に繋がる不思議な話だった。

愛する男性に会う為、世代や場所を超えて何度も生まれ変わりを繰り返す女性の魂のお話。映画はこちら。

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輪廻というのでしょうか。生まれ変わってもあなたに会いに行く…一途な想いは、ファンタジーな要素を纏いながら、多くの人々を巻き込んで徐々に「目的の相手」に近づいていきます。

転生の度に、母体に宿った胎児の時から、「自分を瑠璃と名付けてほしい」と母親に夢でメッセージを伝え、7歳まで育つと自分の前世を思い出す少女になるというパターンを繰り返す瑠璃の魂。

非現実的な設定ながらリアルな恋愛小説として最後まで読むことができるのは、恐らく作者の力量で、直木賞受賞の所以なのでしょう。

確かに時間軸や登場人物が複雑に絡み合う割りに、大きく「迷子」にならずに一つの物語として楽しめた、という点では良かったと思います。

しかし、レビューの多くにあるように「純愛小説として本作に感動」したか、と言えば残念ながらそのような感想には至りません。

己の一念を貫く女性の恋心を良しとしたならば、そこに(全く意図せず)関わりあってしまった殆どの人が結果的に不幸になってしまった本作は、恋愛の切なさや一途さよりもむしろ人の不条理ややるせなさを示しているように思われます。

巻末の寄稿では伊坂幸太郎直木賞の選評では浅田次郎伊集院静など多くの作家から絶賛されている本作、小説としてやはり素晴らしいのでしょう。

思えば転生を「憑依」、一途さを「執着」と見ると、「数奇なる愛の軌跡」も不気味なダークファンタジーになってしまうわけで。

もう自分としてはそんな暗部にしか目がいかなかったので後味はあまり良くありませんでした。映画の方はどうもツッコミどころが多々あるらしく、怖いもの見たさでいつか観てみようかと思っています。

 

「いつかたこぶねになる日」漢詩の豊かさ教えてくれるエッセイ

いつかこの人の本を読みたいと思い、「後で買う」に入れっぱなしだったのが、本屋で文庫本を発見!あぁ文庫になってくれてありがとう。迷わず買いました。

「いつかたこぶねになる日」 小津夜景

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フランス在住の俳人である著者。しかし本作は句集ではありません。南仏ニースでの暮らしを綴りながら、その折々に思い出される古今東西漢詩や作品に触れ、著者の目線で解説されているエッセイです。

著者を知ったのは以前に谷川俊太郎の詩集の解説を読んだ時。とても詩的な文章でこれはちょっと本編に劣らないくらいの存在感だったのです。

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(ちなみに再度この解説を読み返そうと思ったのにこの詩集が見当たらず…引越しで何処かに行ってしまったようで残念)

さて彼女の本エッセイ。学校の教科書に出てきた記憶のある有名な詩人が多数紹介されています。その殆どがが漢詩。それらが時には七五調で時には自由な口調で現代文に翻訳されています。近寄りがたく硬い印象の漢詩も、その現代語訳と柔らかな説明文で、不思議と身近に感じられるように。

太陽と海の南仏での豊かな暮らしぶりの中、その頭の中には遥か古代の漢詩が泳いでいるという、読んでいるこちらの方がどこにいるのか迷子になってしまうような感覚になります。

漢詩の詠み手は、杜甫白居易菅原道真夏目漱石良寛… 名前だけで怖気付きそうですが、決して専門書のような敷居の高さは感じられません。

冒頭で著者自身が語っているように、本書は著者なりの漢詩へのつきあい方をまとめたもの。彼女の自然で柔らかな漢詩への接し方が伺える一冊になっています。

漢詩のある日常を自由にデザインするきっかけになったら」と語る著者。

彼女がこんなに漢詩を日々の暮らしに落とし込めているのは、感性云々もさることながら、その際立った博識と膨大な知識がベースになっているのは確かなので、日常で自然に漢詩と向き合うのはなかなか難しそう。

しかし「何か漢詩、ちょっと面白いかも」と思わせてくれた本作。これを機に漢詩が楽しめるようになったら嬉しいけれど、多分まだまだ先の事のようです。

「百年の散歩」エッセイのような小説で時空を超えた散歩を楽しむ

前回はAudibleで読んだ多和田葉子。今回は書籍で。

「百年の散歩」 多和田葉子 著

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ドイツ・ベルリンに居住する「わたし」。ベルリンに実在する通りを一つ一つ訪ね気楽に散歩しながら、来ない「あの人」との頼りない待ち合わせの約束を思いつつ、道ゆく人々や開かれた店の数々について、時にはエッセイのように、時には空想を張り巡らせながら物語って行く。

本作一人称である「わたし」の目線で、ベルリンの街中を観察していくお話。「わたし」は作者自身なのか全く架空の人物に語らせているのか。

日本語とドイツ語の言葉の違いの中を漂うように、語り続ける作者。

レビューの中に「ダジャレがつまらない」というコメントがあったけれど、作者はダジャレで笑わそうとしているのではなく、頭の中に浮かび上がった言葉をそのまま文字にして投げつけてみる事によって、跳ね返ったきたものを試験的に拾い上げているような気がします。

著者は、日本語でもドイツ語でも作品を残している作家。しかし、母語以外で作品がある事が決して目的なのではなく、母語の外に出ることよって、「母語」と「母語の外」の間の空間にいる自身の感覚や立ち位置を観察する事に関心がある、という趣旨のコメントを彼女のエッセイで読んだ記憶があり、とても新鮮に感じたのを覚えています。そして新鮮さと同時に、自分は外国語を学んだ先にこのような境地にたどり着ける事が出来るのか、いや残念ながら恐らくそこまではいけないんだろうという、漠然とではありながら実感したものでした。

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今回本作を読んで、「言葉遊び」を重ね時には時空を超えながら、ベルリンの街や自身を観察する文章に触れて、改めて「母語」と「母語外」のはざまを客観的に捉える作者の視点はとても興味深いです。

政治や環境問題に関しては在住するドイツのマジョリティに影響されている事が伺える描写であったものの、概ね何者にも囚われないスタンスを維持しているように伺える表現も。

さて「エッセイのような小説のような」本作。かなり後半で「あの人」についての描写が出てくるのですが、ごく抽象的。それならばいっそ「実在するかどうかわからない」人であっても良かったのでは、と感じましたがあくまで個人的な感想です。

空想(妄想?)と現実が、それこそ百年の時空を超えて行き来するような本作。よそ見しているとおいてけぼりにされそうで、なかなか手強かったです。

「コントラクト・キラー」サスペンスというよりもいつも通りのシュールなコメディ

アキ・カウリスマキ監督作品。いつも通りすっとぼけて入るものの、今回はサスペンス要素が。でもあんまりハラハラしなかったけれど。アマプラで。

コントラクトキラー」

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ロンドンで働くフランス人のレオ。周囲とはそれほど溶け込んでは以内が真面目に勤務する毎日。しかし長年実直に務めていたにもかかわらず、ある日突然に解雇を言い渡され人生に絶望した彼は、自殺を試みるもうまくいかず、広告で知った殺し屋に自分の殺害を依頼することに。しかしその夜カフェで知り合った花売り娘に恋をしたレオは死ぬのが嫌になり依頼をキャンセルしようとするが、以来先の事務所はなくなっており…

あらすじをたどっているだけで、何だかいかにもカウリスマキ監督らしい喜劇が期待できそうな雰囲気。そしてその機体は裏切られることはありません。

死ぬほどこの世を哀れんでいたはずの主人公だけれども、女の子に恋したらあっさりと「死ぬのやめた!」になるあたり、実にこの監督らしいw

解雇、失業、自殺、殺人依頼…普通ならば十分にダークになる状況も、本監督のいつも通りのとぼけた演出で、何だか不思議なコメディーに仕上がっています。

今回は(自分が頼んじゃったのだから仕方ないのだけれど)殺し屋に追われる、というシチュエーションの為、若干スリリングな趣きがありながら、やはり期待通り主人公の間抜けさ加減が、不穏な空気をいい具合に相殺してくれます。

イギリスを舞台としたフランス男の孤独と悲喜劇という設定なのでしょうがないのですが、やはりカウリスマキ監督にはスウェーデンでそのローカルに生きる人々を撮ってもらいたかったな、というのが唯一の残念なところ。

しかし人を食ったような展開は健在。場所は違えど人間の愚かながら愛すべき点は変わらないよ、という事でしょうか。

相変わらず飛び抜けてかっこいい人も綺麗な人も登場しないカウリスマキ作品。しかしだからこそぐっと身近に感じられ、もう30年以上も昔の映画でもつい見てしまいたくなるんですよね。

 

 

「星の子」信仰に取り込まれる両親を持つ子供の目線

今村夏子作品。今回はAudibleで。

「星の子」 今村夏子 著

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「わたし」は中学3年生の林ちひろ。未熟児で生まれ生後間もなく原因不明の湿疹にかかり、あらゆる手を尽くしたが全く効果を得られず困り果てた父親は、同僚のくれた「特別な水」を使用してみると、瞬く間に効果がみられ数ヶ月後には完治となる。これ以降この同僚が所属する宗教にはまっていく両親。父親は会社を辞め本格的に教団活動に専念し生活は段々困窮するようになり、やがて5歳年上の姉は家出する。

毎回「ちょっと変わった」人が登場する今村夏子の小説。今回は新興宗教のいわゆる2世が主人公です。前回本で読んだのはこちら。

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冒頭まもなく「奇跡の水」らしきものが出て来て、いかにも怪しい雰囲気。絵に描いたようにのめり込んでいく両親と、その奇妙な活動や生活にさして深く疑う事なく順応しているちひろ。生後すぐに両親が入信した為か、無理に強いられているのではなく自然と受け入れ、両親とも良く話しむしろ自他共に認める「仲のいい」家族です。

一方5歳上の姉は子供の頃から教団側とは馴染めず、両親ともしばしば対立、「不良になってしまった」彼女は家を出て行ってしまいますが、ちひろはそんな姉が理解できません。

親戚づきあいも途絶え周囲からも奇異に見られ、社会から孤立する一方で、教団の信者たちとの関係を密にしていくちひろ一家。やがて仲良くしてくれるクラスメートや気に掛けてくれる叔父さん家族との交流が生まれるうちに、ちひろの中にも少しづつ違和感を持つようになります。

一昨年から頻繁に取り上げられている宗教団体とその2世の問題。本作を読んでいると活動が日常になっていく様子を垣間見たような感覚に。金銭的な問題や社会からの孤立などあっても、居心地の良い信者たちとの関係に逃げ場を求めているように思われます。

いろいろわだかまりが芽生えつつも、信者との交流会や集団旅行に参加し楽しく過ごすちひろ

さて様々な解釈が生まれるようなラスト。これに関しては巻末の小川洋子との対談で作者が言及しているのですが、編集担当者と検討した結果、当初のシーン(教団の若手幹部が待ち伏せしているという不穏な終わり方)を変更し、両親のそばにちひろを置く事で、「この家族は壊れていない」「両親には悪意はない」というあくまで「家族の物語」にしたかったのだそう。

しかしその手前から「不穏」な空気は十分に作られており、当然ちひろは教団側に取り込まれるんだろうな、と想像せざるを得ません。だからこの変更したとされるラストはむしろ不自然に感じたのですが、対談ではこのラストが評価されていて、あぁこんな具合に意見が分かれるのも本作の良いところなのかも、とも思いました。