又吉先生に感化され、改めて太宰を読んでみる

太宰治を愛してやまない又吉氏。彼のYoutubeチャンネルでは度々(というか頻繁に)太宰が取り上げられています。

太宰かぁ…昔そう言えば読んだけれど。もう記憶の彼方なので改めて読んで(読み返して)みようと思います。

ちなみにこれは太宰行きつけ鰻屋「若松屋」訪問のお話。聖地巡礼ですね。推しを語る又吉氏、推せます。

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その又吉氏が特に愛読している短編の一つにある「桜桃」。

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早速、Audibleで短編集の中にあるので聞いてみました。

「短編傑作集」太宰治

『太宰治短編傑作集』のカバーアート

Audible.co.jp

妻と3人の子供のある主人公。十分な稼ぎや蓄えもなく生活は貧しく、その苦しさを酒で紛らす暮らしが伺える。その夜も妻とのふとした言葉のやり取りから家を出て行き、飛び込んだ酒屋で出された桜桃を見ながら、桜桃などおよそ贅沢なものを食べた事のない子供の事を考えながら、不味そうに種を吐きながら食べるのだった。

妻と子供3人(しかも内一人は障害者)そして酒に溺れる男という設定から、自然に太宰本人が連想されます。何か大きな事件があるわけではなく、妻と子供達との愛情を持っている筈の家庭にいたたまれなさを感じる主人公の(つまり太宰本人を投影させた)心情を綴った短編です。

言葉の選び方、文章の運び方から本作を絶賛する又吉氏。特に桜桃を食す場面では、子供にこんな贅沢もさせてやれない自分が、「持って帰れば喜ぶだろう」とわかっていながら又泥酔し、罪悪感と自己嫌悪から「不味そうに」桜桃を食べる箇所に涙したと言います。

そして寧ろ「持って帰ってヨメと子供に食わしてやれよ」と気付かない周りをイカンと(これは冗談だけど)。

多分…又吉氏は心が広いんでしよう。人を傷付ける者の心の痛みを推しはかる事が出来るから。

私自身が読後感じた痛みは、子育て経験がそうさせるのか、現実逃避する男を子供の面倒を見ながら一人待つ妻の心情の方ですね。

これは以前「ヴィヨンの妻」を読んだ時にも感じたけれど。

いや、そんな事言うと「人間失格」も他の短編(「きりぎりす」等)も女性のつらさややるせなさが浮かび上がってくるのが感じ取れるようです。

もっともそれを踏まえての男の心情、哀しさと言うことになるのでしょうが。

しかし今回改めて読んでみて、太宰が描く女性たちに「覚悟」や「図太さ」も同時に感じたのは事実。現実から逃げ回る男と落ちるところまで落ちようと決めた彼女たち。それは惚れた腫れたを超えた心境なのかもしれません。

Audibleと並行して手にしているのはこちら。

お伽草紙」 太宰治 著

お伽草紙 (新潮文庫)

リアルな太宰から少し距離を置きたくて。これも一種の逃避でしょうか。