「ヘヴン」残酷な暴力と哲学の理論が同居する小説

翻訳版が欧米でベストセラーになり話題となった(とかなり後日に知った)作品。あまり「得意」な印象ではない作家なのですが、今回はどうでしょう。Audibleで。

「ヘヴン」 川上未映子 著

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斜視であることを理由に「ロンパリ」と呼ばれ毎日凄惨ないじめを受けている中学生の「僕」。ある日「私たちは仲間です」という手紙を受け取る。差出人は同じクラスの女子で、家が貧乏である事容姿が不潔である事からいじめられているコジマだった。クラスではリーダー格の二ノ宮やその取り巻きから常にいじめを受ける僕だったが、一方でコジマとはクラスでは一切言葉を交わさないものの、密かな文通を続け静かに友情を育んでいく。

「僕」がいじめられるシーンの描写がリアルで、聞き飛ばしてしまいたいくらいの惨さ。しかしそれとは対照的にコジマという女子との会話や、二人で会う場所の風景は、いじめが酷い分余計にキラキラと輝いているように感じます。

いじめがエスカレートするにつれ「僕」と対峙する時のコジマの饒舌さが際立ちます。自分たちの受けている困難さには意味があり、いつか報われる日が必ず来るのだと言う彼女。

ここでもう一人キーとなる人物が登場します。同じクラスで積極的には手を下さないものの「いじめる側」に属している百瀬という少年。

彼は、「僕」と偶然病院で会った際に、勇気を持って何故自分をいじめるのか、と詰問する「僕」に対し、「いじめる行動に意味など無い」と言い放ちます。いじめだけでなくそもそも人間の行動、そして生きている事そのものにも何の意味や理由などないのだ、と。一切悪ぶれる風でもなく非情なほどに冷静で、まるで禅問答を思わせます。

コジマとは真逆の論理を展開する百瀬。「弱い者は美しく」「いじめる人たちもいつか理解するだろう」とするコジマとは相反し、何にでも理由を付けたがるのは弱者の現実逃避と百瀬は切って捨てます(この中学生らしからぬ哲学を思わせるやり取りは、あぁ如何にも欧米受けしそうだな、と感じるところではあります)。

この百瀬はクラスの中でも積極的な言動がないのに強い印象を与えており、もしかしたら「僕」の空想から生まれた存在なのではと思われるほどに象徴的です。何れにしてもいじめる側の理屈を彼に語らせる事で、世の中の不条理を無意識に肯定している私たちにその残酷さを突きつけているようです。

さて、物語は後半急にスピードを上げていきなり幕切れになります。他のレビューにもあるようにあちこち散らばった伏線が回収されていないままの印象が否めないので、読後感はスッキリしません。でも妙に気になる作者なので、また読む(聞く?)事になるんだろうなぁと思います。