「さらば、わが愛 覇王別姫」悲しいくらいに美しいレスリー・チャンを観る

制作30周年、レスリー・チャン没後20年の特別企画として4K公開されている本作。鑑賞して来ました。

さらば、わが愛 覇王別姫

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映画.com

1925年国民党政権下の北京。遊女である母親に捨てられ京劇養成所に入れられた小豆子。いじめの対象となった彼を兄のようにかばう石頭。二人は成長しそれぞれ程蝶衣(レスリー・チェン)、段小樓(チャン・フォンイー)と名前を変えコンビを組み京劇界のスターになっていく。蝶衣は小樓に密かな想いを抱いているが小樓はその想いに気付かぬかのように遊郭で出会った女郎の菊仙(コン・リー)と結婚してしまう。

日本軍占領、国民党支配、共産党支配、文化大革命と、中国激動の50年を背景にした2人の京劇役者と1人の女性の愛憎の物語。

富める者は富み貧しい者は徹底して貧しかった当時は、非力な女子供にとっては尚更辛いものと想像は容易い時代。それは幼少時代過酷な訓練を経て華やかな舞台に立つ蝶衣たちも遊郭に身を置いていた菊仙も同じ事。互いに愛情や憎しみを抱きつつも、逃れようのない運命に翻弄されていく者同士として深いところで理解しあっていたのではと思われます。

小樓を巡る言わば「恋敵」である蝶衣と菊仙。しかしアヘンに溺れる蝶衣を見舞う時、弟子に主役の座から蹴落とされた蝶衣を気遣う時、菊仙が見せる優しさは姉のよう。「愛憎」と書いてしまったけれどその奥の複雑な感情がこの3人に見え隠れします。

だからこそ突きつけられた裏切りの言葉には深く傷つくのでしょう。

日本軍の登場で殊更「酷い日本人」みたいに描かれるのかなと密かにヒヤヒヤしていたけれど、芸事には理解ある軍人たちという設定で内心ホッとしました。

実の母親に捨てられて以来愛情を求めて生きてきた蝶衣が、相方としてのニーズや性的対象云々ではなく、純粋に一京劇役者としてリスペクトしてくれたのが、本来憎むべきはずの日本軍将校だった事は皮肉な成り行きです。

長い年月を経て和解に辿り着いたかのように思われた蝶衣と小樓。幕切れを引いたのは蝶衣の方でした。ラストに芸名の蝶衣ではなく「小豆」と声をかけた小樓の微かな笑みは何だったのか。舞台と現実の境目もわからなくなるほどのめり込んでいた蝶衣がやっと役どころから解き放たれたと思ったのか、それとも共に過ごした幼少の頃に思いを馳せたのか。頼れる男だった小樓が次第に情けなくなっていったように、ラストで見せる彼の表情は消え入りそうで何とも哀れでした。

儚さや憂いを帯びたレスリー・チャンの表情や仕草は本当に美しい。厚い舞台化粧の下の溢れんばかりの涙をたたえた瞳が、素顔の時よりも本心を物語っているようで切なかったです。