「PLAN75」親の世代の話ではなく自分の事として考える歳になったんだと実感しながらの鑑賞でした

「高齢」ってまだ先の世代だ。。と思っていたらいつの間にかすっかり視野に入っている事を改めて実感。アマプラで視聴しました。

「PLAN75」

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映画.com

少子高齢化が更に進んだ近未来の日本。満75歳から生死の選択権を与えるという案が国会によって可決・施行されている。夫と死別し一人暮らしのミチ(倍賞千恵子)は清掃員として働くが高齢を理由に解雇、更に住む場所も失う事となり「プラン75」に入る事に。一方市役所でプラン75の窓口申請業務を担当するヒロム(磯村勇斗)は音信不通だった叔父がプランに加入した事によって改めてこの制度に矛盾を感じるようになる。

物語に感情の起伏を誘う様子もなく、主人公ミチも現状を淡々と受け入れて進んで行くかのようにみえます。本来直接会う事は無いプランのコールセンター担当者と街で待ち合わせお茶をしながらおしゃべりしたりボーリングをして何気無い時間を過ごす主人公。電話やネットではなく「人として」関わりあう事で、担当者の心にプランの在り方への疑問が湧き上がる様子が感じられます。

市役所職員のヒロムにしても、恐らくはこの制度には反対の人々は少なからずいる事は感じつつ(看板に物を投げつけられるシーンあり)業務をこなすだけだったでしょう。叔父のプラン加入という現実に直面しなければ。

生身の人間として向き合った時にその制度がどのような影響を及ぼすか、深く問いかける作品のように思われます。

もう一人、プランを扱う施設で働くフィリピンの女性も登場します。幼い娘の手術費用の為、介護職からより高給なプラン遺品処理の仕事をする彼女。外国人の彼女にとっても、複雑な気持ちを抱く制度に写ることが伺えます。

皆が少しずつ疑問を抱くものの、何かが変わるところにまで映画は至りません。

ラストで太陽を見ながら鼻歌を口ずさむ主人公。これが朝日なら希望の象徴なのかもしれませんが、仕事も住む場所も無いまま沈みゆく夕日を見つめる彼女の姿は明るい未来を約束するシーンではなく、いろんな意味で現実の厳しさを突きつけていると思わせる場面です。

昨年は実際にジャンリュック・ゴダール監督が安楽死で亡くなったというニュースがありました。「自分で自分の生死をコントロールする」とはどういう事なのか。映画を見終わってしばらく経った今でも答えが見つからないままでいます。