「エゴイスト」ドキュメンタリーのような映像で原作とは違う楽しみ方を

原作を読んでからの鑑賞になりました。

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予想していたけれどそれ以上に主人公になりきる鈴木亮平が熱演。仕草や身のこなしなど、あぁ多分沢山のゲイの人に会ってリサーチしたんだろうと思わせます。

本作は著者の自伝とも言われていますが、原作以上に主人公の「浩輔」のコアな部分が感じられたような気がします。

原作では浩輔の独白部分が結構多く、自分の行為が単なる自己満足ではなかったかとする自責や亡き母への想い、恋人龍太を亡くした絶望感など、多くの言葉で綴られていました。逆に台詞も少なく割愛されたシーンも多いのに、映画の方が心に刺さった気がします。饒舌にたくさんの言葉で覆っていたものを、映像で観せられた、そんな印象です。

恋人龍太は繊細で儚げ。浩輔が「ピュアな子」と称する龍太を、宮沢氷魚(最近まで何て読むのか知りませんでした)が演じているのですが、肌の白さも伴い現実味の無い美しさで人形のよう。何人もの相手とのベッドシーンがあっても生々しさが無かったのは彼の出で立ちに依るところがあるのでしょうが、浩輔の頭の中で「ピュアな龍太」として半ば神格化された形なのかもしれません。

イカップル2人の演技もさることながら、実は一番驚いたのは恋人龍太の母親役の阿川佐和子

原作を読んだ後このキャスティングを見て、「いや、違うでしょ」と思っていたんですが、失礼しました。とんでもなかった。

とても自然な立ち振る舞いでアドリブかと思うようなセリフ回し。台所で食卓を3人で囲むシーンもさりげなく「良いお母さん」感が。

実際手持ちカメラでドキュメンタリー風に撮っていることもあり、まるで普通に「トーク」している印象なんです。

後でインタビュー記事を読んだのですが、浩輔と二人向きあい「ある物」を受け取る受け取らないという場面があり、脚本では勿論結末は決まっていたものの、監督からは「別に受け取りたくなかったらそれでもいいですよ」という指示があったのだとか。無理に台本に合わせる事はないと。それくらい自然な流れを大事にした作品で、且つ役者である阿川サンは全般の信頼が置かれていたのだな、と思います。

さて、原作では自分の行為が「エゴ」ではなかったのかと自責の念に駆られる独白が多々あり、タイトルもすんなりと連想されるのですが、映画にはそのようなタイトルに絡むような台詞は一切ありません。ラストに大きくタイトルが映し出されるのみです。

原作を読んでいないと唐突すぎるんじゃ?と思いましたが、逆にタイトルの意味を改めて観客に問うているとも考えられます。

自分は本を読んで答え合わせのように観ましたが、「敢えて」映画だけ楽しんで「エゴイスト」の意味を考えるのもいいかもしれません。