「土を喰らう十二カ月」色香ある枯れたジュリーが観られます

昨日レディースデイを利用して観に行ってきました。平日なのに思いの外観客は多く、もしかしてジュリー目当ての方が多かったのかな、と思ったのですが違ってたかな?

「土を喰らう十二カ月」

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長野の人里離れた家屋で一人暮らしをする作家のツトム(沢田研二)。畑で野菜を育て山できのこ類を取り、釜で米を炊く素朴な暮らしを送りながら執筆活動を続ける毎日。時折訪ねてくる編集者であり且つ歳の離れた恋人でもある真知子(松たか子)と、旬の食材を調理し共に味わうのを楽しむ日々。悠々自適に思われるツトムだが、13年前に他界した妻の遺骨を納骨せぬまま手元に置く一面もあった。

都心から遠く離れた山村に四季を感じさせる風景。海外の田園ではないまさに「ニッポンの田舎」がそこにあります。冬の始まり頃から映画は始まるのですが、視覚より聴覚が呼び覚まされるようです。小川のせせらぎ、鳥の囀り、枯れ葉を踏む音、そして台所で調理する気配…

村人に教えを請い試行錯誤を繰り返しつつ野菜を育て十分に味わい尽くす。それは、かつて幼少の頃に主人公が禅寺で修行した際に教わった事をなぞるような日々でもあるのです。

近隣には風変わりで頑固者の亡き妻の母が一人暮らしをしており、時折顔を覗かせ話し相手になるのもツトムの生活の一部。

そんな周囲の人々との交流は最小限に抑えつつ、半ば自給自足の生活を送る主人公に「風情」を感じざるを得ません。精進料理を思わせる毎日の食を介して「死生観」を問うているのも伝わってきます。

その田舎暮らしのツトムの元に都会の風を送り込んでくるのが真知子。軽快なジャズの音色と共に車を走らせて登場するのですが、正直最後まで「恋人同士」に見えませんでした… なんでだろう。

「食いしん坊で無邪気な若い彼女」という設定なのでしょうが、丁寧に出されたお菓子や炊き立て筍を手づかみで食べる姿に違和感があって、無邪気な健啖家を演出するには少し無理があるのでは無いのかな、と。

いっそ「孫?」くらいに若い子の方が主人公の初老で枯れた感じが強調されて良かったのではと思われました。松たか子一人を切り取って観たらとっても魅力的ではあるんですけどね。

そもそもこの真知子は、監督が水上勉の原作を読んで作り上げたオリジナルキャラクターだそうで、そう聞くと終盤の二人の関係性も何となくとって引っ付けた感があり、個人的には少々残念な気がしました。

山村の移り変わる四季と慈しむように作られる料理の品々、そして意外にもたくさんの芸達者な役者さんが脇を固めていて贅沢な一本です。

エンディングの歌に至るまでとにかく「沢田研二による沢田研二の為の映画」でしたね。