「帰らない日曜日」女性作家の生涯を古き良き英国の記憶で

先日「わたしは最悪。」との二本立てで観ました。何も予備知識無しに観たのがよかったかもしれない一本。

「帰らない日曜日」(2022年)

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1924年3月30日。この日はイギリス中のメイドが里帰りを許されるマザリング・サンデー(母の日)にあたる日だったが、ニヴン家に仕える孤児院育ちのジェーン(オデッサ・ヤング)には帰る家がない。そこにかねてから秘密の関係を続けるシェリンガム家の後継息子ポール(ジョシュ・オコナー)から誘いの電話が。彼はホブディ家一人娘エマ(エマ・ダーシー)と婚約中にあり、結婚の前祝いとしてこの日長年親交のある三家族で昼食会を予定していたが、口実を作って「遅刻する」と嘘をつきジェーンとの密会を楽しむ。ひとときの逢瀬の後ポールは車で昼食会へ。一人屋敷に残ったジェーンは広い屋敷を満喫した後帰途に着くのだが思いがけない知らせを受け取ることになる…

一見してあぁイギリス映画と思わせるシーンの連続です。広々とした田園風景、格式ある屋敷、上流階級たちの集まり… 絵画を見ているかのような場面が続く中、ひっそり且つ大胆に忍び逢う二人。

そもそもイギリス郊外やお屋敷の調度品など全ての映像が美しいのですが、このラブシーンの後一人ジェーンが一糸纏わぬ姿でお屋敷内を歩き回る場面も印象的。最初はおずおずと、やがて大胆に動き回り、キッチンでは手づかみでパイを食べビールまで飲んでしまう。ジェーンの中にある女性のしたたかさ、太々しさが見えるようです(あまりの堂々とした所業に誰か帰ってくるんじゃ?と先回りして無駄にハラハラしてしまったくらい)

この日の「悲報」の後、屋敷を出て書店の店員から小説家へと転身していくジェーン。映画ではメイドをしていた彼女と小説家として暮らす彼女が交互に映し出されます(ついでに80年代も)。広い邸宅での勤めの中でも彼女の記憶にはいつでも「本」があり、書物への憧れが遂には小説家としての仕事を選ばせるのでしょう。そしてそれを後押ししたのがポールとの思い出だったように思われます。

「メイドから小説家」と聞くと現実離れした印象がありますが、時代背景的にはそうでもなさそうです。

1920年代のイギリスでは、第一次大戦の経済的損失は上流階級にも重くのしかかったらしく、抱える家事使用人への経費も限られ、結果として自由も給料も少ないメイド職は敬遠されたそう。これに代わって店員や事務職を目指し必要な読み書きやタイピングスキルを身につけ、中流階級の仲間入りを果たそうとする一定層がいたようです。なので、1940年代に入り書店の店員から小説家になったジェーンは、当時の選挙権獲得を経て徐々に社会進出する女性の姿を表していると言えるでしょう。

見事な脱ぎっぷりのオデッサ・ヤングも印象深いのですが、脇を固めるコリン・ファースオリヴィア・コールマンも哀しさや辛さを静かに表していてとても良いです。評価の高かった原作も読んでみたくなりました。