舞台劇のような会話が楽しめる「マリッジ・ストーリー」で長台詞に込めた俳優陣の熱演を観る

先週「ジェラシック・ワールド」で観たローラ・ダーン

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若い時も可愛くて綺麗だったけどもうベテランの貫禄が出て良い歳の取り方をしているな、と思います。上記の記事でも触れた「マリッジ・ストーリー」はネトフリオリジナル映画で(2019年公開)、女優の妻(スカーレット・ヨハンソン)と演出家の夫(アダム・ドライバー)の離婚へ向かう様子を丁寧に辿った作品で、本作でローラ・ダーンは妻側の敏腕弁護士の役を演じていました。

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画像引用:映画.com

気持ちのすれ違いからお互い離婚を決意し円満に別れる事を望むものの、ちょっとした事から弁護士を立てて争う事に。自分のクライアントが「勝つ」為に有利に裁判が進むよう相手の粗探しを綿密に行う両弁護士。直接会話するのもままならない中、夫婦間は(ただでもギクシャクしていたのに)更に拗れて円満どころか弁護士に煽られるかのように泥沼の展開に。

女優と舞台演出家の夫婦として子供にも恵まれNYに居住している二人は傍目には「成功したカップル」しかし日常の相手の言動が弁護士という第三者にネガティブに解釈され焚きつけられる内に、小さな綻びが段々と憎しみを交えた大きな感情に変わって行きます。

映画全体は場面をスイッチしながら会話を中心に進んで行くので、(舞台演出家と女優という設定もあって)舞台劇を見ているような感覚。ブチギレる夫婦二人の会話が多分本作のクライマックスなんだろうな、と思う一方で個人的に印象に残ったのは前述のローラ・ダーン演じる弁護士の台詞。

それは離婚調停を控え妻と調停での応答をロール・プレイで練習する場面。酒を口にしたり決して完璧な母ではない、と正直に答えようとする妻(ヨハンソン)に対し、弁護士の彼女は徹底してダメ出しします。

世間はダメな父親には結構甘い。でもダメな母親というものは社会的にも精神的にも許されない。これは聖母マリア処女懐胎した時以来揺るがない思想で、常に完璧な母像が求められているのが現実。全く馬鹿馬鹿しいけれど受け入れて良い母親を演じなさい。

ざっくり要約すればこうなりますがこれが結構に長い台詞で、ヨハンソン相手に熱弁するローラ・ダーン、迫力でした。助演女優賞、納得しかないです。

お話としては結局のところ離婚するのですが、前述の言い争いだけでなく日常に交わす会話や細かい描写がすくい取られていて、離婚に至ったとはいえお互いよく見ていた夫婦であった事が垣間見え、だからこそそれでも離婚してしまう大人の事情が切ないです。

妻は離婚後女優ではなく「監督」として成功をおさめる、というくだりがあるのは、「もう日常でも仕事でも「演じる」のはイヤなの」という彼女の意思の表れなのか。

一方離婚決定後、同僚たちとの飲み会で夫はミュージカルの一曲を演者さながらに即興で歌う場面があります。こちらは「夫」を演じきった、という事なのでしょうか(アダム・ドライバーの歌が素晴らしいです)。

アメリカンの離婚らしく認められた親権に則り、二人の間で行き来する子供。その子供の為仕事の拠点を変え引っ越す父親。親も子供も味わう大変さもいたわりもきちんと捉えているストーリーに好感が持てた作品です。