「ロゴスと巻貝」刊行記念のトークイベントに行って来ました!

「いつかたこぶねになる日」を読んでからすっかりハマってしまった感のある小津夜景。新刊「ロゴスと巻貝」のイベントで「実物」に会える、という事で「何だか推し活っぽいな」と思いながら行って来ました。

「ロゴスと巻貝」 小津夜景 著

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著者が「本」もしくは「読書」に関わって来た記憶を辿り寄せるように書かれたエッセイ。著者自信が語るように自らの「読書遍歴」を語るものではなく、オススメ本のリストでもない、全く自由に「つれづれなるままに」語っているような一冊です。

自由と言えば、著者の本に対する向き合い方そのものがとても自由。

気に入った本なら「躊躇なく」切り取っていつでも持ち歩いて読めるようにしたり、(ドイツ語を読めないのに)蚤の市で思いついてゲーテ全集を購入してみたり。紡ぐ文章も拘りや縛りを感じさせません。これは、古典文学から哲学書まで博学な著者の幅広い知識があってこその「自由度」だと思います。

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刊行記念のトークイベントは何弾かあるようで、今回は文筆家・ゲーム作家の山本貴光氏がお相手。直接本作の内容中心というよりは、著者の本に対する向き合い方全般からお話が進んでいきます。

ボツボツとしかし丁寧に言葉を選んで語る著者の姿勢に、「書き手」或いは「語り手」としての誠意が感じられ、席数も限られた書店スペースの会場は終始和やかなムード。

読書についてのコメントで面白かったのは、内容が難解であればあるほどある程度のスピードで読んでしまう事。例として挙げられていたけれど、外国語の本を読む時にいちいち辞書で確認すると先へ進まず内容も頭に入ってこないのと同様に、難しい本こそある種のスピード感で読み進める必要がある、というのは確かに頷ける部分も。しかしこれとて圧倒的な読書量が前提だとは思いますが。

又、紀貫之土佐日記を例に挙げて、かな文学の位置付けやその研究の重要性、更にそれを意識した小説が出てくる事を期待していることなどにも言及されていました。

最後に質問コーナーがあったけれど手を上げる勇気がなく…

ブログや作品など、どれを読んでも「生活感」の無い著者。それはどこら辺からでているのか、本人はそれを意識しているのか、そんな事が常々疑問でした。

が、エッセイなり文章を書く際に、自身を曝け出すにあたり家族や周囲を出来る限り傷つけないよう(過剰な露悪趣味や暴露本にならないよう)配慮している、というコメントがあり、この「配慮」も彼女自身にまとわる一種のベールになっているのでは、と思いました。

でも霞を食べて生きているような印象が最後まで拭えなかった彼女。ゲストの山本氏も手探りでトークしているようで、それも又決して嫌な感じではなく寧ろ楽しませてもらえたと思います。

ラストにサインを。「漢詩頑張って勉強してます!」とそれこそ頑張って話しかけると、「えらいですねぇ、私なんか高校レベルです」とおっしゃり、(そんな訳なかろうに)と思いつつ笑顔でお別れしたのでした。

 

 

西洋美術館で現代アートの鑑賞を

展示終了間際に行ってきました。

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となり?」

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国立西洋美術館公式ページ

今年開館65年を迎える国立西洋美術館。しかし大々的に「現代美術」を展示するのは初の試みとなります。

会場では現代アートらしく型にはまらない展示の数々。動画や彫刻も含め空間を最大限に活かした魅せ方で様々な工夫が施されているのがわかります。

又、国立西洋美術館に対しての提案をアーティスト側に問いその答えを展示しているのも興味深いところ。「子供目線での展示を」「多言語での展示は可能か」などのプロポーザルが出ており、これに応えるようにマルチ言語での表示、託児サービスの提供もみられました。

更に西洋時術館が立地する「上野」周辺の移り変わりを基に、そこに住むホームレスの人々やそれを支えるボランティアの方々の日常を表す展示も結構なスペースを用いて出されていました。これも含めての「現代美術」なのかな、と理解していました。

正直現代美術はこれまで縁がなかったので、新鮮な気持ちで鑑賞したいたのですが、半世紀以上にもなる本館も、今後の運営にあたり色々考えるところがあったのかなと、こちらも推し量るところです。

階段を使って移動して迷路のように行き来した後出口へ。ここまで来たので常設展にも行って来ましたよ(毎回常設展にも行くようにしていますけれど)。今回は「新設」とされている展示が何点かありました。

その中でも以前からあるモネの作品など。

さて、そろそろ帰ろうかなと思ったところにもう一つの特別展が。

「真理はよみがえるだろうか ゴヤ<戦争の惨禍>全場面」

本展は、スペインのフランシスコ・デ・ゴヤの版画集。彼がスペイン独立戦争を取材し、戦場での民衆の苦悩をリアルに伝えるものです。かなり悲惨な描写も多々あり、実際の悲惨さを思い知らされます。200年以上も前の事ながら、女性に対する蛮行や弱者への悪行など、人間の非道や愚行を描写する作者の冷静な目も特筆すべきでしょう。

そんなこんなでお腹いっぱいになった美術鑑賞。帰りによったセリアでミーハーにもこんなものを入手しました。結構気に入ってるんですが。

わかりにくいけど、ミニトートとブックカバーです。愛用したいと思います。

 

「たゆたえども沈まず」で今度はパリを生きたゴッホの半生を読む

大好きな原田マハのアート小説。気になっていたものの結構長編なので後回しにしていましたが、一気に読みました。文庫本で。

「たゆたえども沈まず」

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19世紀後半の華やかなパリ。美術界では印象派という新しい波が台頭しつつある中、日本美術に傾倒するブルジョワ階級相手に浮世絵を売りさばく画商の林忠正と助手の重吉。やがて彼らは同業者であるオランダ人テオを通して、その兄である無名の画家フィンセントと知り合う。この奇跡的な出会いによって、フィンセントは世界的に傑作と言われる作品を生み出すようになる。

炎の天才画家ゴッホの生き様を題材にしたフィクション。原田マハゴッホ作品と言えば少し前にこれを読んだばかり。

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今回はミステリー要素はなく、パリの街を舞台に、パリに魅せられた不遇の天才画家と彼を支える弟、そしてそれを見守る日本人画商たちの半生を描いた小説となっています。

前作「リボルバー」ではゴッホゴーギャンの関わり方にスポットが当てられた形でしたが、今回は弟テオとの関係にフォーカスしたお話で、その分兄弟の離れがたい間柄が色濃く描かれています。

現代に生きる主人公によるゴッホの死の真相をめぐる謎解きが主軸だった「リボルバー」と比較すると、ゴッホを中心とした人間関係に焦点が当てられた本作は、よりゴッホの人となりや孤独感や苦悩といったものが滲み出た人間ドラマとなっているのではないでしょうか。

いつもながら全般を通じ、芸術そして芸術家へのリスペクトが感じられる原田マハ作品。

今回文庫本のあとがきにあった西洋美術史学者圀府寺司氏による解説も非常に面白く読ませてもらいました。

データや資料を追跡し、あくまで史実に基づき研究を重ねていく歴史家の立場からみれば、オランダの天才画家と日本の画商が少なからず交流を重ねていたなんて、荒唐無稽に映るのでしょう。冒頭真っ先に「いいなあ…話が作れて…」とあるのは偽らざる圀府寺氏の学者としての本音でしょう。

それでも、ゴッホが弟テオに宛てた多くの書簡はアルル時代のもので、そこには「フィクション化」できないほどに日々の出来事が克明に記されているものの、テオと同居していたパリ時代は詳細な記録が無い事から「フィクションの入り込む余地が大きく」、そこを突いてきた原田マハの手法は評価されています。

にも関わらず「これはあくまでフィクションであり、事実を裏付けるものではないのだ」と暗に言っているように思われる箇所が多々あるのが何とも面白く、あとがきにこんな事言っていいのか、と思いはしたものの、私のように没入のあまり「そうか、日本人画商がゴッホにアルル行きを勧めたんだ」なんてうっかり思い込んでしまう恐れもあるので、これくらいはっきりと断言してくれた方がいいかも。

何れにしても今後ゴッホの絵に対する自分の見方が大きく変わるだろうなと思うと、今から楽しみでもあります。

「マンハッタン」懐かしい映画を振り返る

NYが舞台のアン・ハサウェイの映画を観たら昔観たものが懐かしくなって。アマプラで。

「マンハッタン」

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マンハッタンに住むテレビライターのアイザックウディ・アレン)はバツ2の42歳で現在17歳の学生トレーシー(マリエル・ヘミングウェイ)と同棲中。別れた二番目の妻ジル (メリル・ストリープ)がアイザックとの結婚生活の暴露本を出そうとしているのが、目下の彼の最大の悩み。ある日親友で妻帯者の学校教師エールから浮気相手のメリー(ダイアン・キートン)を紹介され互いに好意を持つようになるが…

大の大人が屁理屈をこね回してひっついたり離れたり忙しいお話w。小難しい話を繰り出すけれど殆ど中身がなくて軽薄そのものに見えるのに何故だか女性にモテるという、いかにもウディ・アレン作品の主人公らしい男性(本当に何でこんなに好かれるのか疑問なのですが)。

20代くらいの時に「ウディ・アレンの映画が好き」と言っていたような記憶があります。多分大人ぶっていたのでしょう(笑)。中身はあまりわかっていないまま、行った事のない外国の都会に何より惹かれたのだと思います。ニューヨーク、マンハッタン、名前だけでお洒落に聞こえましたもの。

今改めて見ると、饒舌な中年男のセリフで繋げられたストーリー自体にはあまり意味が無いようにも思われます。主役はマンハッタンそのものだから。そんな事は百も承知で監督・脚本・主演をこなしているのでしょうけれど。

20歳以上も年下のトレーシーに「もっと人を信用できないの」と正論言われて反論もできずに情けない顔で黙り込むウディ・アレンの表情も見事。

ミア・ファローと組んで以降の作品が彼を知るきっかけだったのですが、この頃の作品も味があっていいなと思います。

こうして見ると散々ウディ・アレンの手垢がついてしまった感のある「ニューヨーク映画」を新しいテイストのコメディで作ろうとしたアン・ハサウェイの「ブルックリンでオペラを」はそういう点でも意味のある映画だと言えるのでしょうね。

「ブルックリンでオペラを」タイトルからの予想を裏切る展開の大人なドラマ

GW後半上映の入れ替えで、家から一番近い映画館ではもう上映されていなかった為都内の劇場で鑑賞。アン・ハサウェイ、相変わらず綺麗でした。

「ブルックリンでオペラを」

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ブルックリンに暮らす精神科医のパトリシア(アン・ハサウェイ)と現代オペラ作曲家のスティーブン(ピーター・ディンクレイジ)の夫婦。パトリシアの連れ子であるジュリアンと共に一見平和に暮らしているが、実はスティーブンはスランプの為5年も新作が書けていない状態。この日も気晴らしに犬と散歩に出掛けた先のバーで「船長」を生業とする女性カトリーナマリサ・トメイ)と偶然出会い、誘われるがまま彼女の船に乗り込み関係を持ってしまう。後悔の念に苛まれる一方で、この体験にインスパイアされたスティーブンは新曲を完成、舞台が発表されるや否や大好評となるが…

ニューヨークに住む芸術家と医者のカップル。セレブで豪華な家に住みながらスランプとストレスで終始しかめっ面の夫と、美人でスタイリッシュながら精神的に満たされない「精神科の医者」である妻という、この「でこぼこ」加減といいニューヨークが舞台な点といい、ウディ・アレンをかなり意識させる作品です。

ただウディ・アレンならもっと自虐ネタに振り切って「コメディ」にするところが、本作は意外にシリアスなテイスト。スティーブン夫婦と浮気相手のみならず、息子ジュリアンの恋愛も加わって、一層「ドタバタ劇」を予想させるも、移民の状況や根強い保守的な思考がもたらす影響をちょこちょこ入れ問題提起をしながら、最後は「ほぼ」丸く収まるような結末に。

でも「感動するか」というとそうでもないし「笑えるか」というとそうでもない。何だか中途半端に終わってしまった印象です。

本作の脚本に惚れ込んでプロデューサーも務めたアン・ハサウェイ。彼女の熱意は演技にも反映されていたようで、一所懸命さが伝わってきたのは確か。しかし気が付けば主役は彼女ではなく、あくまでピーター・ディンクレイジ。ここら辺の「軸がどこなのか」がわからず「はて、何が言いたかったのかな」感は否めないと言ったところでしょうか。

それでもハリウッドの主流であるスペクタクル系やアクション系だけでなく、本作のようなストーリー重視の作品も映画化されるようにとプロデューサーを買って出るアン・ハサウエイの尽力と姿勢はリスペクトしているので、今後も彼女の出演・企画する作品は期待したいです。

恵比寿で写真展とビールを楽しんできました

GWはどこへ行ってもウンザリするくらい混雑の東京。こちらも混んでいる事を予想していたものの、思っているよりは遥かに静かで助かりました。

「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」

東京都写真美術館で3月から開催されている木村伊兵衛の写真展です。

日本写真史において、土門拳と並び二大巨匠とされる木村伊兵衛。没後50年としてその作品の回顧展となっています。

写真はあまり詳しくないものの、その名前と戦前・戦後の日本の情景を切り取った写真を記憶していましたが、本展示では日本だけでなく、中国やヨーロッパを写した作品が並んでいました。

殆どが白黒で、「芸術作品」というよりも「記録写真」の色合いが濃い印象。戦前の沖縄などはまだ行き来がなかった頃で、市井の暮らしぶりはなかなか目にすることがないでしょう。

ヨーロッパでのスナップショットではカラー作品も見られ、街並みもいきいきと感じられます。

たくさんの作品の中で個人的に印象に残ったのは、1960年代から70年代にかけて数度訪中した際に撮られた一連の写真。当時の文化大革命と言えば闘争や暴力的な写真が連想されがちですが、展示されていたのは人々の「普通に」暮らしている様子で、自然な笑顔が向けられていたのです。1956年に当時の文化人とともに日中文化交流協会を設立した木村伊兵衛。中国のリアルな姿を切り取る事を願ったのでしょう。

さて、美術館最寄駅は恵比寿。恵比寿と言えばエビスビール発祥の地。1988年の恵比寿工場閉鎖から35年ぶりに醸造再開したそうで、その体験拠点として「EBISU BREWERY TOKYO」がオープンしています。

GWの来客の多さから飲食はすぐには出来なさそうだった為、この日は見学のみにした我々。でも工場の歴史から醸造工程まで色々楽しめる施設になっています。

という事で、駅前のBARで一杯いただいて帰りました。

 

「母という呪縛娘という牢獄」残虐な事件の裏側にある母娘の歪な関係

久しぶりにノンフィクションをAudibleで。

「母という呪縛娘という牢獄」 齊藤 彩 著

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2018年滋賀県琵琶湖南側河川敷で、両手両足頭部の無い体躯部だけの遺体が発見される。腐敗と損傷が著しかったものの周辺の聞き込みと調査の結果、発見現場近くに住む高崎妙子58歳である事が判明。夫とは別居状態で長年31歳の娘あかりと二人で暮らしていた。あかりの不審な供述から警察はあかりを死体遺棄容疑で逮捕、その後死体損壊そして殺人容疑での逮捕・起訴へと踏み切る。調べていくうちにこの母娘の異様な生活ぶりが明らかとなって行く。

一人の女性記者が、拘置所の容疑者と面会を重ね、刑務所移送後も書簡を往復し続けることによって、炙り出された真実がまとめられた作品。

異様なまでに学歴にこだわり、超難関国立医学部への進学を強要し、9年もの間娘に受験させ続けた母親。そして何度も家出を繰り返しつつも、結局怒号と体罰に屈し続けた娘。

読み終えた後、どうにもやるせない気持ちになります。それは親と娘両方の立場を省みてしまうから。

本作は一女性記者による容疑者へのコンタクトをベースとして描かれたノンフィクションである為、娘からの視点に絞られたストーリーになっており、どうしても「母親の視点が考慮されていない」という何か欠落感みたいなものが最後まで付き纏います。

病的なほどに娘の成績や学歴に拘り最終的には娘の「人生」そのもののコントロールにしがみついていた母親こそ、心の病を抱えていたと思わざるを得ず、恐らく自身の母親に対するコンプレックスなど何某かの屈折した思いがあったのではと思われます。

そんな母親からいち早く逃げてしまった父親。最終的に殺害を認めた娘に経済面を含めサポートを惜しまず「尊敬に値する」人でありながら、何故妻の生前に娘を救い出すことができなかったのか。職場の同僚たちからも支持されるような人であるだけに、何とも残念な気持ちになります。この父親の視点がもっと反映されれば、本作は又違った印象になったかもしれません。

自分同様に母親も追い詰められたいたのでは、と母への思いを馳せるようになるあかり。暗い闇を心に抱えていた母親はもしかしたら自ら命を絶つことが出来かねず、娘にその役割を託してしまったのかもしれません。しかし意識的にも無意識でも、我が子に「自分の親を殺めてしまった」という罪を負わせることは、親として一番の不幸と言わざるを得ないでしょう。それは彼女が娘に対し長年行なっていた罵倒や体罰などよりもよほど大きな罪なのではないでしょうか。

凶行の残忍性や毒親というワードだけが一人歩きしそうな本件、母親の生い立ちや父親の心情が加われば、更に深掘りされたであろう事を考えると残念な気がします。