「わたしは最悪。」美しいオスロの街を迷える大人が駆け抜ける自分探しのお話

昨日はサービスデイ。いい映画観られたでしょうか。私は二本立てでなかなか良い映画に会えました。

「わたしは最悪。」(2022年)

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30歳を迎えたユリヤ。成績優秀で医学部に入学するも進路に疑問を持ち中退して心理学に入学。しかし関心が向くまま映像の世界へ飛び込み、そこでも長続きせず書店で働くという方向性の定まらない人生を送っている。その度に付き合う男性も変わっていき現在はグラフィック・ノベル作家として成功している年上の恋人アクセルと同棲中。彼の出版記念パーティーを抜け出し、紛れ込んだ全く知らないパーティーで若い男性アイヴィンと出会う。後日勤め先の書店で偶然再会した事でお互いの気持ちを認識し、各々恋人と別れ同棲を始めるが…

「何ものか」になれると信じたいけれど、その「何か」が何なのかわからない。年上の彼が順調に成功している隣で「何者でもない自分」を意識したくない。結婚や出産をチラつかせてプレッシャーをかけてくる周囲。今の自分に満足できなくて常に焦燥感を抱く毎日。

なぁんだ、よくある「自分探ししている独身女」の話か、と言われればそれまで。この映画が「刺さる」かどうか分かれるのは、この自分の立ち位置が常に揺らいでいる心境に共感できるかどうかではないでしょうか。

一見「勝ち組」である年上彼氏のお祝いパーティーから逃げるように飛び出し、川沿いを一人歩く彼女の静かに流す涙を見ていると、胸が痛む思いがしました。そんな気持ちになった人、少なくないと思うな。

自信がないように見えて、人生の選択肢を選ぶ段階で(特にオトコを選ぶ時)割と大胆に決めてしまうユリヤ。ラブコメにありがちな我が道を行く女性です。

移り気で身勝手とも言える彼女だけど嫌味に映らないのは、主演の女優(レナーテ・レインスヴェ)の、親しみやすさや品の良さを感じさせる点も大きな要因と思われます。彼女の為に今回監督が本作を用意したとの事。初の主演作で大抜擢だったそうけど、まさに適役です。

そして映像がとても素敵。多分本作で一番印象的と言われるのは、ユリヤが早朝アイヴィンに会いにオスロの街を走りぬくシーン。ストップモーションの様に周囲の人々の動きは止まり、普通に動いているのはユリヤとアイヴィンだけ。VFXなど特殊効果を使わず古い手法で撮影したそうで、アナログな感じも街並みに合っていて良かったと思います。

気がつけばお洒落で美しいオスロの街の魅力に浸りながら、恋に人生に迷う主人公の生き方を追体験するような2時間でした。

パンフレットもすごく素敵だったので買ってしまいました。

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」グローバルなカンニング作戦でスパイ映画みたいなスリルを味わう

サブスク解約前に慌てて見ています。その中の一本。ネトフリで。

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」(2018年公開)

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成績優秀の為特待生として有名校に転入を果たした女子高生リン。周りは金の力で入学して来た学生らしく、裕福だが成績の悪い連中ばかり。友人になったグレースに、テスト中巧く答えを教えてやった事を発端に、回答を教える代わりに報酬を得るという取引を開始。顧客も段々増える中、遂に世界各国で実施される大学統一入試「STIC」で大掛かりな「カンニング」を計画。緻密な作戦は果たして成功するのか?

本作はタイ映画ですが、実際に中国で起こった事件をモチーフに作られた映画だそうです。

監督は「プアン 友だちと呼ばせて」のナタウット・プーンピリヤ。「プアン 」の時は大人の世界をお洒落な映像と音楽でみせていましたが、今度は高校生の「カンニング」事件をスリリングに仕上げています。

映像がスピーディー。とりわけテストの試験官から追われ地下鉄構内を逃げ惑うシーンはハラハラさせ手に汗握る場面です。アップやスローモーションを駆使して、追い詰められる主人公の心理が伝わるような絵になっています。

え、こんなやり方でカンニングってできるの?と思うようなアクロバティックな手法を使って作戦をこなしていく彼ら。主犯格のリン、頭脳明晰です。その知恵と度胸があれば普通に社会で大物になれるでしょうに。。

本作、学生のカンニング事件が題材ですが、金で成績も留学も手に入れようとする富裕層と、そんな彼らから「頭脳」で金を得ようとするリンたちとの貧富の差も浮き彫りにしており、コメディタッチの中に社会派の要素を絡めています。

カンニングに協力する事で大金を巻き上げる彼女は、どうしようもない社会の構造に復讐しているかのようにも思えます。

とんでもない事をしでかした娘に対しどこまでも優しい父親が印象的。だからこそ主人公が「正しい」道に進もうと決心する結末にも納得できます。

富裕層グループの学生たちもお金持ちのお坊ちゃんお嬢さんらしく、のほほんとして基本的に人の良い子供たち。

でもその「悪気の無さ」が故に無意識に弱者を傷つけている事にも、静かに警告を放っているようでした。

 

 

 

「明日に向かって撃て」お洒落なセリフと音楽で久々のポール・ニューマンが懐かしすぎた!

よく行く近場の映画館で「ポール・ニューマン特集」をやっていたので。小学生くらいの時大好きだったんです。マセてましたね(笑)。

明日に向かって撃て」(1969年)

19世紀アメリカ。銀行や列車を襲撃、強盗を続けるお尋ね者のブッチ・キャシディポール・ニューマン)とサンダンス・キット(ロバート・レッドフォード)。手強い追っ手に追い詰められた二人はサンダンスの恋人エッタ(キャサリン・ロス)を伴い南米ボリビアに逃亡。そこでも銀行強盗を繰り返す彼らはやがて警察に包囲される…

実話に基づく本作。断片的にはどこかで観ていた筈ですが、きちんと観たのは確か大学生の頃のリバイバル上映だったような。

西部劇さながらの銃撃戦と馬で逃亡する西部の岩場。繰り返し映される情景に「あぁこうだったなぁ」と記憶を繋ぎ合わせるような気持ちで観ていました。

あまりにも有名なこのシーンも懐かしい。バート・バカラックは1970年アカデミー賞作曲賞受賞していますね。画像3

出典:映画.com

相棒の恋人と二人、自転車で子供みたいなデートをする。お洒落です。ポップな歌と相まって、西部の片田舎がフランスの街中を思わせるシーンで、とっても愛すべき場面です。

若い頃に観た時はお洒落だな、カッコいいな、と思っていた本作ですが、登場人物の倍以上生きた今では、少し冷めた眼で観ている自分にも気付きます。

ブッチもサンダンスも強奪を繰り返す相当な悪党、ならず者です。サンダンスに至っては腕利きのガンマンで殺人も厭いません。それも生活に追われて仕方なくというよりも、楽に泡銭を手に入れたいから。堅実な人生よりも「太く短く」生きる事を望み暴走していく二人。金を奪っては贅沢に使い、持ち合わせが無くなれば犯罪を重ねる。

中盤で馴染みの警官に「お前らはもう真っ当に働く事なんてできない。血まみれになって死ぬだけだ」と言われるシーンがありますが、ほぼこの予言通りの結末を迎えるであろう当人たちに対して、その悪行を考えると同情の余地はありません。

追っ手の目を誤魔化す為に同行させた恋人のエッタも、「あなたたちが死ぬのは見たくないの」と言いつつ、南米への旅行中は結構豪遊しているし、金が尽きればちゃっかり一緒になって強盗している(一応職業教師なのに…)。しかもいよいよ捕まりそうになると「私は先に帰るわね」と彼らをおいて去って行く。ドライです。ここまで来たら最後まで一緒よ、てな事にはならないんですね。まぁ最後一緒に蜂の巣にされると別の映画になってしまいますし…

そんなあれこれ考える事自体「邪道」と思わせるくらいチャーミングなんですね、この映画。どんな悪人が主人公でも、脚本や音楽が良くて美男・美女が登場して監督が素晴らしく纏め上げると傑作になるという、何だか映画のマジックにかかったような気がします。

「テアトル・クラシックスAct2 名優ポール・ニューマン特集」では、本作を含む4本を全国順次公開中だそうです。ブルーアイの魅力を是非スクリーンで。

 

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出典:テアトル・クラシックス

 

 

小説に出てきた「真言」について

「旅する練習」のお話をしましたが、作中にしばしば出てくる「真言」。物語にも深く影響するのですが、真言そのものも興味深かったので、もう少しお勉強を兼ねて触れてみたいと思います。

minonoblog.hatenablog.com

真言は、「サンスクリット語マントラ(Mantra)の訳語で、「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」という意味であり、「大日経」などの密教経典に由来し、浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる呪術的な語句である」そうです。(引用:Wikipedia)。

(全く関係ないのですが、この「呪術」という字、多分我々より今の子の方がすんなり読めるのでしょうね。。)

「旅する…」では、「私」と小学生の姪っ子亜美がお不動さんをお参りした際に石碑に刻まれた真言を目にする場面が発端になります。

お不動さん=不動明王真言宗をはじめ天台宗日蓮宗など幅広く信仰されている仏様。

不動明王

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引用:Wikipedia

インド神話に登場する三大神の一人の「シヴァ神」を起源とする説もあるのですね。

「シヴァ」

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引用:Wikipedia

二人が旅の無事を祈る「滝前不動」の石碑に刻印されているのは、不動明王真言の中でも最も唱えられているとされている「慈救呪(じくじゅ)」。

「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしやだ さはたや うんたらた かんまん」

要約すると、「煩悩を打ち砕いて、仏道へお導き下さい」という意味になるのだそうです。

大日如来の化身ともされている不動明王。強い煩悩に縛られていると、大日如来が姿を変えてその煩悩を断ち切り、悟りを開かせて下さる、という事のようです。

不動明王真言については下記のYouTubeを参考にさせていただきました。他の真言についても解説されています。

www.youtube.com

長く細々とヨガをやっていたので、個人的には「マントラ」や「シヴァ」と聞くとぐっと親近感が増してしまいます。プラクティスの度に唱えたマントラは不思議と今でも覚えているし、スタジオに飾ってあったインド神話の絵も記憶しています。

遥か昔の人々の祈りが、形や様相を変えて静かに今の時代にも息づいている事に、何だか感動を覚えます。

小説の中では、小学生の姪っ子は意味のわからないまま真言を暗記し、リフティング練習の度に唱えます。でも闇雲に口にするのではなく、真摯に練習(修行)に向き合い願いを込めて唱える姿はまさに真言の意図するところと思われ、この小さな子供は理屈ではなく(真言を唱える)深い意味を汲みとったのではないか、と感じられるのです。

生活の中に宗教・宗派を超えて真言が生きるとするなら、きっとそういう事のような気がします。

 

「旅する練習」自然や仏教にも触れて時間がゆっくり流れるようなロード・ノベル

先日読んだ雑誌「スピン」の中のエッセイで紹介されていた一冊。三島由紀夫賞坪田譲治文学賞を受賞、芥川賞候補にもなった作品(だったのをすみません、知らなかったのですが)をAudibleで。

「旅する練習」 乗代雄介 著

旅する練習

小説家の「私」は、コロナ禍で春休みの予定のないサッカー少女である姪の亜美(あび)と二人、千葉の我孫子からアントラーズ本拠地の鹿島を徒歩で目指す旅に出る。「私」は風景や自然の描写を、亜美はリフティングと宿題の日記を各々続けながら、途中で出会った大学生の「みどりさん」も加わり、交流を重ねていく短い旅の物語。

タイトルの「旅する練習」とは、「練習しながら旅をする」という事であり、小説家である叔父は風景デッサンを、姪はサッカーのリフティングを練習しつつ旅をすすめているという事になるのでしょう。

作中では、真言宗にある不動明王真言が随所に登場する事からも、二人の練習は何かしら「修行」の様子を漂わせます。風景や自然などの細かい背景描写に加え仏教や歴史の説明も入るものの、小学生の亜美に対して教える場面が多い為か、文体は平素で優しい雰囲気が続き、重苦しさは感じられません。

その真言を、「魔法の呪文みたいだ」と言ってリフティング前のおまじないとして唱える亜美。彼女の無邪気さや明るさが、大人たちの心を軽くしていきます。

特に途中で知り合う大学生。非常に自己肯定感の低い彼女は、常に自分に自信がなく内向的な性格なのですが、亜美との対話を通して徐々に自分の意思や決意を示す様になり、又その様子を静かに観察する「私」も姪の成長を見出すと共に、自身の中にも気づきを得るようになります。

大人二人と小学生の歩いて旅する「ロード・ノベル」。川の流れや鳥の動きまで緻密に表現されて時計がゆっくり回っている様な印象さえします。

いつもAudibleは倍速近くで聞いているのですが、本書はかなり速度を落としました。出ないと勿体ない気がしたので。出来れば視覚で(目で読んで)楽しむほうが適している作品かもしれません。

さて、どうも賛否両論のあったらしい「ラスト」。それまでの何処と無く物哀しい感じがこれでわかったような気もする一方で、それまでのふわっとした雰囲気がそこで一気に変わってしまい、何となく残念な気持ちにはなりました。

それくらいこの結末で印象が変わってしまう事は確か。じゃあ又最初から読み直さないと!と思ってしまったので、ひょっとしたらこれも作者の意図でしょうかね。。

 

「2046」1960年代の香港の雰囲気にレストアで浸る

先日映画館で観てきました。ずっと観たかったやつです。やっとこれでウォン・カーウァイ三部作観れました。

「2046」

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引用 映画.com

ウォン・カーウァイの過去5作品が4Kレストアで再上映されるプロジェクトが実施されており全国で順次公開中のようですが、たまたま近隣の映画館で観ることができました。

欲望の翼」「花様年華」と登場人物が複雑に絡み合い時間軸も前後する三作。3つとも観てあぁそうだったのか、となるかと思ったら謎な部分はそのままで… でも独特の世界観に浸れて且つノスタルジックな気分にさせてくれます。

昔愛した女性が忘れられない作家のチャウ。滞在するホテル隣室の女、支配人の娘、女賭博師など、様々な女性と関わりあうも、束の間の付き合いで満たされず、やがて執筆するSF小説に自らや女性たちを投影させ…

映画自体のお話と、チャウの書くSF小説の内容が交錯して2つの世界を行き来しているような感覚になります。 

そこに他の2作の話も絡んできます。監督は続編ではない、と言っているように単独でも楽しめるのでしょうが、やはり前2作を観ている方が登場人物の変化をたどる面白さがあります。

そもそもこの監督、事前に台本や資料を渡さず現場でも話をガラッと変える事は当たり前なのだとか。「僕は慣れてるけどね」とどこかのインタビューでトニー・レオンは笑っていましたが。即興性を求める監督の映画に謎解きは際限がないような気も。

この映画自体多くのトラブルの為長い年月をかけて作られ、その間編集と撮影を積み重ねてきた作品(完成しないのでは?とさえ言われていたとか)ですが、本監督の他作品同様ストーリーを追うよりも「雰囲気」を味わうもの、と思って観ています。

主人公チャウはそのトニー・レオン。渋いです。煙草をふかすスーツ姿が様になってます。昔の恋人が忘れられないとはいえ、隣人の女性と刹那的な関係を持ち本気にさせながら捨ててしまう罪な男。哀愁が前面に出て嫌なヤツ感が潜むあたり素晴らしいです(褒めてます)。彼はこの頃が一番カッコよかったんではないでしょうか。でもヒゲのない「花様年華」の方がビジュアルもストーリーも好みなので、又別の機会に改めて。

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引用 映画.com

隣人の女のチャン・ツィーも一人二役フェイ・ウォンも賭博師のコン・リーも皆美しい。あの頃他の監督作品も含めたくさんの香港映画が上映されていた事を思い出して懐かしくもあります。画像1

引用 映画.com

さて、日本から参加した若かりしキムタク、頑張ってました。頑張っていたし案外たくさん映っていました。でも何でだろう、これと言って印象に残っていません。一人二役(日本人サラリーマンで支配人娘の恋人+SF小説の中の人物)を演じているとはいえ、話の本筋からみても大きなファクターではないはず。その割りにいっぱいアップで撮ってもらっているので余計に違和感があったのかも。

ウォン・カーウァイ監督作品、今回レストアされた5本には未だ観ていない作品もあるので、この機会に是非とも大きなスクリーンで観たいと思っています。当面香港ノスタルジーに浸るかな。

 

「スピン」期間限定の雑誌で本の良さを改めて感じる

今日実家に帰っているのですが、先日本屋で手にしたこれを連れてきました。久しぶりに「紙の」本を読んでのんびり読書するシアワセ。

「スピン」

スピン/spin

引用:河出書房新社

2026年に創業140周年を迎える河出書房新社が、その記念企画として発行したのが、16号限定の季刊誌「スピン」。

スピンとは、本のはじについている栞の紐を指し、日常に「読書」という栞を届けたい、という趣旨が込められているそうで、作家恩田陸氏がその名付け親との事です。

ジャンルに拘らない様々な読書を体験してほしいという作り手の思いを映すように、短編やショートショートの読切や連載の小説から短歌に関するエッセイまで、(そんなに詳しくない私でも)あ、この人も!と思うラインアップです。

中には連載の予定が締切に間に合わず、エッセイに変更しちゃった中村文則氏なんてのも(笑)。

今では入手しづらいけれどおススメの本を紹介してくれる「絶版本書店」という嬉しいコーナーもあります。しかし読後にチェックしてみると、既にAmazonに出品されている本も… 早速本雑誌の影響でしょうかね。

このデジタルの世の中、しかも古くからの雑誌が次々と休刊になる中で、「敢えて」紙媒体雑誌で勝負する作り手の気概を示すように、表紙・目次に毎号違う紙を使用するという拘りも見せています。

「視覚・触覚の両面からの紙の違い」を読者に体験させようとする意図通り、見た目も触り心地もどこか懐かしさを感じさせます。

ちなみに創刊の本号は表紙・目次共に現在庫限りの紙素材。しっとりくすみのあるオフホワイトの紙が目にも手にも馴染んで嬉しくなります。レトロな雰囲気なのは、希少価値の素材を使っているからでしょうか。

Audibleや電子書籍のお陰で、個人的に読書の幅が広がった事は実感しており、そのメリットは勿論認識しているのですが、こうして作る側の思いが伝わる本に出会うと、又アナログの良さが再認識されるような気がします。

NHKの朝ドラでも、今週からあの又吉先生が古本屋の店主で登場しましたね。ひょっとしたら「本ブーム到来」になるかな?